2月22日「わたしは、同じように支払ってやりたいのだ」

わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。(マタイによる福音書20章14節)

主イエスは「天の国」をぶどう園にたとえて語った。ぶどう園の主人は何度も広場に出かけて行く。そして、何もしないで立っている人に声をかけ、ぶどう園で働くように招いた。同じように、神は空しく人生を費やしている私たちの姿を見られる。そして、やって来て、私たちの人生に関わろうとされる。あたかも神のほうが私たちを必要としているように。

何度も広場に出かけて声をかける主人は、まさに、この世に来て、人々を天の国に招く主イエスの姿である今も、霊なる主イエスは近づいて来て、私たちを天の国に招いておられる。私たちは主の招きに応えて、天の国で働く神の同労者となった。地上の教会は主に集められた神の同労者たちの群れであり、終わりの日が来たならば、地上の働きは終わり、神から報酬を受けるであろう。

ぶどう園の主人は、最後に来て一時間しか働かなかった者に一デナリオンの報酬を与えた。最初に来て丸一日暑い中を辛抱して働いた者も同額の報酬であった。それで、最初に雇われた者たちは同じ扱いに不平を言った。これに主人が答えたのが今日の聖句である。「最後の者」とは、人の目から見れば、信仰生活が短いため、神のために十分な働きができなかった人であろう。しかし、神はこの最後の者にも他の人と同じようにしたいのだと言う。神の報酬は、罪の赦(ゆる)しも永遠の生命も、行いの評価によるのではなく、全き恵みである。主イエスは、私たちが神のために労し働くのは、神に招かれ、その恵みに与った感謝の応答であるのかどうかを問うておられる。

内藤淳一郎

内藤淳一郎

西南学院大学神学部卒業後、日本バプテスト連盟の教会で牧会、鹿児島大学哲学科のカトリックの神学の学びから、鹿児島ラ・サール高校でも教える。日本バプテスト連盟宣教室主事、日本バプテスト連盟常務理事を8年間務める。

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