1月4日「これは私の愛する子、私の心に適う者」

そして、「これは私の愛する子、私の心に適う者」と言う声が、天から聞こえた。(マタイ3:17)

主イエスはガリラヤのナザレから荒れ野に出て来て、洗礼者ヨハネからバプテスマを受けられた。水の中から上がられると、主イエスは神の霊を受け、天からの声を聞かれた。「天」とは天空ではなく、神がおられるところである。

この出来事は第三者が見聞きしたことではなく、主イエスの霊的な経験である。主イエスにおいて神の霊の決定的な働きが始まった。「愛する子」とは、「独(ひと)り子」とも訳され、主イエスと父なる神との切り離せない関係を示す。御子(みこ)イエスは父の御心(みこころ)を行う方として私たちのところに来られた。父と御子とは深く結ばれている。

主イエスは罪を悔い改めた人々と共に、ヨハネからバプテスマを受けられた。こうして主イエスは、私たちと同じ立場に身を置かれたのである。それは、主が私たちの罪を引き受けて罪の贖(あがな)いとなり、神と私たちとの間に新しい関係を創造してくださるためである。

神の御子の座を捨てて、私たちと同じところまで降り、その死によって私たちの罪の贖いを果たし、神によって死から復活させられた主イエスを信じて、バプテスマを受ける者は救われる。イエス・キリストの贖いの恵みにより罪を赦(ゆる)されて、神との新しい関係に入れられる。

バプテスマを受けることによって、私たちは主と結ばれるのである。主と同じように、「あなたは私の愛する子」という天からの声を聞く神の子どもとされる。神を父と呼び、神への信頼と服従に生きる者となる。主の苦しみにあずかるとともに、主の復活の命にあずかる希望に生きる。

内藤淳一郎

内藤淳一郎

西南学院大学神学部卒業後、日本バプテスト連盟の教会で牧会、鹿児島大学哲学科のカトリックの神学の学びから、鹿児島ラ・サール高校でも教える。日本バプテスト連盟宣教室主事、日本バプテスト連盟常務理事を8年間務める。

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