8月26日「モーセと預言者に耳を傾けないのなら」

し、モーセと預言者に耳を傾けないのなら、たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言うことを聞き入れはしないだろう。(ルカによる福音書16章31節)

主イエスは、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた金持ちと、彼の門前に横たわっていた貧しいラザロの話をした。ラザロは死んで、天の住まいに連れて行かれた。次に、金持ちも死んだ。死後、彼を待っていたのは陰府(よみ)であった。彼はもだえ苦しみ、憐(あわ)れみを乞うが、死後の運命は変更できない。金持ちは自分の兄弟たちが陰府に来ないように、ラザロを遣わしてほしいと頼んだ。これに対する答えが今日の聖句である。

「モーセと預言者」とは、聖書のことである。聖書に聞かない者は、死者の中から生き返った者が語っても、悔い改めないというのである。聖書のみが、死後の運命を決定する神の言葉である。金持ちはこの世の楽しみを追い求め、神と聖書を軽蔑していたので、陰府に落とされた。

主イエスは彼が金持ちであるという理由で陰府に落とされたと言っていない。金持ちは自分の楽しみのためだけに富を使って、彼の門前にいたラザロのために使わなかった。主イエスは私たちが金持ちであるなしに関係なく、お金を隣人のために使うことを求められる。私たちは主に従う弟子となって、自己中心の人間から隣人のことを考える人間に変えられた。特に、主から隣人と福音の喜びを分かち合う使命をいただいて、隣人のためにお金と体を使う人間にされた。それゆえ、献金は私たちにとって義務でも強制でもない。自分で決めた通りに献(ささ)げる自発的なものである。私たちは献金することによって、お金から自由にされ、神に仕えて、お金を活用する。

内藤淳一郎

内藤淳一郎

西南学院大学神学部卒業後、日本バプテスト連盟の教会で牧会、鹿児島大学哲学科のカトリックの神学の学びから、鹿児島ラ・サール高校でも教える。日本バプテスト連盟宣教室主事、日本バプテスト連盟常務理事を8年間務める。

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