あなたがたに耳を傾ける者は、わたしに耳を傾け、あなたがたを拒む者は、わたしを拒むのである。(ルカによる福音10章16節)
主イエスはご自分が遣(つか)わす弟子たちに、語るべき福音の言葉を託した。主イエスは弟子たちに、どこかの家に入ったら、「この家に平和があるように」(5節)と語れと言う。これは「シャローム」という、昔も今も使われるユダヤ人の挨拶の言葉である。主イエスは弟子たちに、出会う人々に神の平和を心から願う言葉として「シャローム」と語れと言った。弟子たちが主に遣わされて、宣(の)べ伝えるのは「神の平和」の福音である。
主イエスは弟子たちに、どこかの町に入ったら、「神の国はあなたがたに近づいた」(9節)と語れと言う。これが福音の核心である。「神の国」の福音が語られる時、主ご自身が近づかれる。「神の国」の福音を受け入れることは、主イエスを迎えることである。その時、主イエスは私たちの神となり、私たちの人生に伴ってくださる。ここに揺るぎない神の平和がある。私たちは主に従う弟子とされ、神の栄光を現す業に仕える。私たちは日ごと新たに、主の言葉を聞き、「御心(みこころ)をなさせたまえ」と祈って、家や町に出かけて行く。弟子たちの語る福音が拒まれるとき、自分が拒まれたのだと主イエスが語る今日の聖句は、拒む者に対する裁きが込められている。それは決して脅しではなく、神の恵みの大きさを物語る。神は、神の栄光を現さず、創造の目的に沿う生き方をしていない人聞を裁くのではなく、救うために、御子の十字架の死をもってその罪を贖(あがな)い、罪を赦(ゆる)して御許(みもと)に招かれる。この福音の恵みの大きさのゆえに、その救いを拒む者はすでに神に裁かれている。