収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。(ルカによる福音10章2節)
主イエスは72人の弟子を選んで、ご自分が行くつもりのすべての町や村に2人ずつ先に遣わした。72とは世界の民族を象徴する数字である。主イエスの目はイスラエルを超えて全世界に注がれる。
収穫とは、神を知らない者、神に背を向けている者を神のもとに招き、救うことである。主イエスは世界中に神の救いを必要としている人々が多いと言う。「今飢えている人々は、幸いである、・・・今泣いている人々は、幸いである」(ルカ6・21)と言われる主イエスは、人々の魂が生きる悲しみ、不安、空しさ、孤独、死の恐れのために呻(うめ)いているのをご存じである。このような魂の呻きに応えてくださるのは神だけである。主イエスは人々に福音を知らせるために弟子たちを遣(つか)わす。しかし、主イエスはなお「働き手が少ない」と言い、このために祈るようにと、弟子たちに今日の聖句を語った。
収穫の主は主イエスご自身である。主は働き手を求めておられるが、収穫するのは主ご自身である。それゆえに、主に召されて、福音伝道のために働く弟子たちは、その伝道の結果を誇ることも、失望することもない。弟子たちの語る福音を通して、主ご自身が聞く人々の心に働きかける。主イエスは、一人の罪人(つみびと)が悔い改めて救われるなら、救いを必要としない99人の正しい人にも勝る喜びが天にあると言う。主に召されて伝道のために働く弟子たちは、その天の喜びにあずかる。主が弟子たちに求められるのは、「折が良くても悪くても」(Ⅱテモテ4・2)、福音を語ることである。