物事の認識のために、避けるべきは偏見か偶像か。

おはようございます。
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◆1626年4月9日 フランシス・ベーコンの召天日

近世以降の哲学者というと「神を否定し、科学を肯定した」というようなイメージを持たれがちですが、実は彼らの多くは少なくとも個人的にはキリスト教徒でした。イギリス経験論の祖とされるフランシス・ベーコンもその一人で、敬虔なプロテスタントの家に育ち、彼自身も強い信仰を持っていました。

彼の思想に登場する、人間が物事を認識する時に邪魔になる「4つのイドラ」という概念がありますが、この「イドラ」という言葉、日本語では「偏見」とか「先入観」と訳されるのですが、元々はキリスト教の「偶像」と同じ語です。このことからも、彼の思索がキリスト教信仰に立脚していることが分かります。

物事を正しく認識するには先入観を捨てなければいけない、と言われると日本人でも納得しやすいですが、偶像を排せよと言われるとちょっと分かりにくくなりますよね。でも、反対にいえば「偶像を避けなさい」というのは「先入観や偏見を避けなさい」とも読み替えられることもあります。もちろん「逆は必ずしも真ならず」で、常にこう読み替えられるわけではありませんが、この読み替えが理解の助けになることもあるかと思います。

それではまた明日。

横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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