主の御名をあがめます。
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◆1931年11月3日 宮沢賢治が「雨ニモ負ケズ」を記した日
「雨ニモ負ケズ」は数ある宮沢賢治の詩の中でも、最も広く知られているものではないでしょうか。この詩の最後は「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」ですが、この「そういう者」のモデルになったのが一説では斎藤宗次郎というクリスチャンだったのではないかと言われています。
賢治自身は法華宗の信徒でしたが、キリスト教にも特に「アガペー(献身的な愛)について関心を持っていたようで、多くのクリスチャンの友人を持ち、教会に通った時期もあったのだそうです。そんなクリスチャンの友人の一人が斎藤宗次郎で、この人は有名な内村鑑三の弟子でした。当時の花巻の町ではキリスト教が「異教」の扱いをされていましたから、彼は周囲の人から石を投げつけられたり、職を奪われたりとさんざんな目に遭わされましたが、それでも人を恨むことなく地域のために地道に働き、最終的にはその姿勢により町中の人に慕われました。
宗次郎が後に東京に移ってから、最初に故郷花巻に手紙を書いたのが賢治宛だったそうです。このことからも二人が相当親しかったことがうかがえます。そしてその手紙から5年後に「雨ニモ負ケズ」が記されました。
この詩は賢治の死後に発見されたものですから、実際に誰がモデルだったかを確かめることはできませんが、少なくとも賢治の作品に少なからず影響を与えたことは確かなようです。
それではまた明日。
主にありて。