アメリカでの同時多発テロ事件から20年───旅客機2機が突入したニューヨークの世界貿易センター(WTC)ビル跡地「グラウンド・ゼロ」などで11日、追悼式典が行われた。攻撃の節目となった時間に計6回の黙祷(もくとう)が行われ、3000人近い犠牲者の名前が読み上げられた。
BBC放送によると、ニューヨーク、国防総省、ペンシルヴェニア州の3カ所の追悼式典では、世界貿易センターの北棟と南棟にハイジャック機がそれぞれ突入した時間、ハイジャック機が国防総省に突入した時間、ニューヨークで2つのビルが崩壊した時間、そしてワシントンの連邦議会議事堂かホワイトハウスを目指していたとされるハイジャック機がペンシルヴェニア州の草原に墜落した時間に、計6回の黙祷がささげられた。
2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ事件(=9・11)では、ハイジャックされた4機の旅客機がニューヨークの世界貿易センタービルや、首都ワシントン郊外の国防総省の建物などに激突し、日本人24人を含む合わせて2977人が犠牲となった。テロは、「イスラム原理主義過激派」の国際テロ組織アルカイダ指導者のビンラディン容疑者(米軍が11年に殺害)が首謀したことから、イスラム教に対して多くの人が脅威を抱くようになり、各国でイスラム教徒に対する憎悪や拒絶感が広がった。
しかし、世界の脅威となっているのは、イスラム教という宗教ではなく、憎しみ合う気持ちだということを忘れてはならない。
そもそも「イスラム原理主義」とは、イスラム宗教の教えの根本(原理)に戻ろうという考え方を示している。第2次大戦後、経済発展とともに貧富の差が拡大する中東社会で、「神の前では全ての人が平等」というイスラムの教えに反しているとし、預言者ムハンマドの時代を理想として生きるべきだという運動が起きた。それを見た欧米の学者が、キリスト教の原理主義の運動になぞって「イスラム原理主義」と名付けたのだ。
そのほとんどは、平和的な運動だったが、ごく一部に、武力を使って自分たちの目的を果たそうというグループが生まれた。それが「イスラム原理主義過激派」で、「ジハード(信仰のための努力)」を極端に解釈し、自分たちの行動を正当化し、目的のためなら人の命を犠牲にしても厭(いと)わない行動に出た。自爆テロもその一つで、この行為は宗教を信じる人の恐ろしさを世界中に知らしめたが、ここで気づかなければいけないのは、人の命を自在に操れる組織があることだ。その原動力となっているのは憎しみで、イスラム教徒の信仰ではない。
同時多発テロ後に、アメリカ軍は、9・11の首謀者であるビンラディン容疑者を、当時アフガニスタンの大部分を支配していた「タリバン」がかくまっているという理由で攻撃した。その後20年にわたって続けられたテロとの戦いは、アメリカ軍撤収という形で幕を下ろした。米ブラウン大ワトソン研究所の報告によると、この戦いでおよそ92万人(このうち民間人は36万人以上)が命を落としている。それだけの犠牲を払いながらも、憎しみの火種は未だ消されていない。
追悼式に出席した遺族が語ったのは、テロとの戦いではなく、平和への思いだった。過激派勢力アルカイダをかくまった武装勢力・タリバンが、再びアフガニスタンを支配するようになった今、この憎しみの火を一刻も早く消さなければならない。