上馬(かみうま)キリスト教会のツイッター(@kamiumach)で「まじめ担当」のMARO(マロ)さん。メインで執筆を担当した『上馬キリスト教会の世界一ゆるい聖書入門』(講談社)も、発売1年で広く読まれている。そのMAROさんが今日から隔週金曜日に本紙で連載を開始するにあたり、信仰を持ってから今までの話を聞いた。
MAROさんは1979年、東京都生まれ。慶應義塾大学文学部哲学科倫理学専攻とバークリー音楽大学Contemporary Writing & Production専攻を卒業。現在は宗教法人専門の行政書士をしている。
──MAROさんはいつクリスチャンに?
大学4年の時です。
──クリスチャン・ホームではなかったのですか。
はい。ひいお婆ちゃんがカトリック信徒だったらしいのですが、物心つく頃には亡くなっているので、よく分からないですね。3歳くらいの時に上馬キリスト教会(東京都世田谷区)のすぐ近くに越してきたのですが、「クリスチャンは5メートル以内に寄るな」という家庭で育ったので、教会にはいいイメージはありませんでした。
──教会には見向きもしなかったんですね。
子どもの頃から興味があったのは哲学です。「自分が学びたいのは哲学だ」と分かったのは高校に入ってからで、倫理の先生の影響によってです。その頃はニーチェとかに惹(ひ)かれていたので、「クリスチャンはダメだ」という気持ちのほうが強かったんですね。聖書は、中学時代に学校の図書館で読みましたが、教会とはまったく結びつかず、むしろキリスト教を批判するために読んでいたと思います。
──どんな事情でキリスト教に向かわれたのでしょうか。
哲学は基本的に、神様を持ち出すのはルールとして禁止なんです。「人の理性によっていろいろなものを突き詰めていこう」という一種スポーツですよね。そこに神様を使ったら、サッカーで手を使うようなもので、反則なんです。
ただ次第に、「哲学で真理に至ることは無理だ」と感じ、「このブラックボックスに神様を投入してみたらどうだろう」と思い始めて。まあ、そこにはいろいろなストーリーがあるのですが。
──それで教会に行かれたのですか。
その時点では教会に足を運ぶことはありませんでした。「自分で聖書を読んで信じていれば、別に教会に行かなくてもいいじゃないか」と2年間くらい思っていたのです。
そんな頃、友だちが新興宗教にハマってしまって、救出に行ったんです。その時に、自分がキリスト教の信仰を持っていることを誰も証明してくれないことに気づきました。「これは証明するものが必要だ。だから聖書には『人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです』(ローマ10:10)と書いてあるのだ」と。それで「教会に行かないとダメだ」と思い、行き始めました。
──行かれてどうでしたか。
教会は「キリストのからだ」であって(エフェソ1:23)、そこに救いがあり、救いというのは教会に与えられているものだと、教会に行って初めて気づきました。教会の礼拝で説教を聞いて分かることはたくさんあります。
──洗礼も抵抗なく受けられたのですか。
洗礼前は、「個人的な信念としてキリストに従っていこう」と思っていました。でも、信仰ってそうではない。神学で「一般啓示」(自然界と人間の良心に示された神の啓示)と「特別啓示」(救いについての啓示)といいますが、教会に行くまでは一般啓示の範疇でしかキリスト教を知らなかった。本からもいろいろ学べますが、本当の極意を知るためには、やはり教会に行き、洗礼を受けることが必要なんです。イエス様の弟子になるか、ならないかは、洗礼を受けることが最初ですから。
──その後、音楽を勉強するためにボストンに留学されますが、クリスチャンであったことで何か特別な体験は?
バークリー音楽大学にはクリスチャン・フェローシップという集まりがあって、各国からの留学生や米国のさまざまな人種の人たちと毎回手をつないで祈り合うという、とてもいい経験をしました。また、日本語教会がボストン郊外にあって、そこでも「クリスチャンでよかった」と思える体験をしましたね。同年代のクリスチャンが多かったので、礼拝後、ボーリングやビリヤードに行ったりしました。日本でも同じですが、教会に行けば必ず仲間が助けてくれます。
米国には、ベース1本担いでスーツケース1個だけ持って渡ったので、初め部屋にはマットレス1枚とドラム用の丸椅子、小さなサイドテーブルといった最低限の家具しかありませんでした。そんな中、クリスチャン・コミュニティーで食べ物をもらったり、料理を教わったり、家具をもらったりしていました。「必要なものはすべて与えられ、神様が助けてくれる」ということを実感しました。「こんなことまで、ありがとうございます」と。
──いつ帰国を?
2003年に行って、05年に日本に戻ってきました。帰国後は音楽活動をしながら、ウェブデザインの仕事をする一方、教会のホームページを作って管理していました。
──ツイッターはどのように始まったのでしょうか。
7、8年前にツイッターが流行り出し、教会では確か5年前に始めました。ある日突然、「ふざけ担当」の教会員が「これ作ったから」と持ってきて、特に明確な意思は持っていたわけではなく、「そうか、じゃあやるか〜」みたいなところから始まりました。最初は、「教会で花が咲きました」とか礼拝案内なんかをツイットしていたのですが、だんだん「つまらないな」ということで、「教会あるある」を始めたんです。(後編に続く)