主の御名をあがめます。MARO です。
今週もしばしお相手させていただきます。よろしくお願いします。
僕は教会のツイートの担当をやっていますから、もちろんツイッターは毎日チェックしますし、フェイスブックやラインなど、ほかのSNSも日々チェックします。ところで最近、この新型コロナ・ウイルスの緊急事態宣言の中で、とても気になることがあります。それは、そこに投稿される言葉に「激しさ」や「怒り」や「憎しみ」が増えてきたことです。
自粛要請がなされている中で、自粛しない人(あるいは、そのように見える人)に対する非難や攻撃。みんなが納得するような対策を打ち出せずにいる政治家への非難や攻撃。コロナとは直接関係ないんだけど、ずっと家にいると無性にイライラさせられてしまう何かへの非難や攻撃。その他もろもろの非難や攻撃。とにかく「非難や攻撃」がとても増えています。
意見が合わない人や行動を理解できない人がいるのはやむを得ないことです。だって、みんながみんな同じ意見や行動様式を持っていたら、今よく言われる「多様性」というのも成立しませんし、だいいち世の中つまらない。だから、意見や行動が人それぞれ違うのは仕方ないんです。むしろ違う方がいいんです。みんながみんな同じ意見だったら、むしろその世の中のほうがどうかしています。
しかし今は、意見の違う人や行動を理解できない人に対する「バカ」とか「アホ」とか「無能」とかの攻撃的な言葉が溢(あふ)れてしまっています。ふだんは楽しく優しい投稿をしている方からも、近頃そういったネガティブな言葉が溢れ始めていて、僕は少なからず心を痛めています。「どうして? あなたからそんな汚い言葉は聞きたくない」。「その憎しみの言葉があなたの言葉とは思えない」。「あなたの言葉はもっと愛に満ちているはず」。そんな気持ちを大なり小なり抱くことがここのところ毎日です。
もちろん批判は必要です。たとえば政治に対する批判がなくなってしまったら、健全な民主主義は形成できません。民主主義に批判は不可欠なものです。しかし、「罵詈雑言(ばりぞうごん)」はいりません。「人格否定」もいりません。「罵詈雑言」と「人格否定」が含まれてしまったら、「建設的な意見」も「悪口」になってしまいます。「悪口」になってしまったら、本当は人の心を打つ意見であっても、なかなか受け入れてもらえません。もったいないです。
一樽のワインにスプーン1杯の汚水が含まれたなら、そこにあるのはもはや一樽の汚水です。それがどんなに上等なワインだって、みんなそれを飲みたくないでしょう? せっかくのワインが、スプーン1杯の汚水で台なしになっているのを見るのが僕は悲しいんです。
が、非があるのは、そんな「悪口」を言ってしまう人ではありません。「悪口」の対象になってしまっている人でもありません。人ではなく「不安」や「イライラ」や「寂しさ」などなどが「悪口」を発しているのです。クリスチャン風にいえば「サタンのせいだ!」です。誰が悪いんでもありません。悪いのはサタンです。
「私は、したいと願う善を行わないで、したくない悪を行っています」(ローマ7:19)とパウロが言った、まさにそのことが、たくさんの人の心の中に起きてしまっているんです。だから僕は「悪口」を発してしまう人も、「悪口」の対象になってしまっている人も責めません。全部「サタンのせいだ!」と思っています。そうやって人間同士の「犯人捜し」を放棄してみると、心がグッとラクになります。
このウイルスに勝つためには、まずその「不安」や「イライラ」や「寂しさ」や「犯人捜しの誘惑」などなどに克(か)たなくてはいけないんだと思います。こんな時だからこそ、冷静に穏やかになって、サタンにつけ入る隙(すき)を与えないように。
「不安」や「イライラ」や「寂しさ」や「犯人捜しの誘惑」などなどは、サタンの大好きなエサです。それを見つけてはむさぼって大きく膨れ上がります。そして、さらに世に汚い言葉を撒(ま)き散らして増殖するんです。ちょうどウイルスが細胞に侵入して、それを自らの増殖に用いるのと同じように。
こんな時だから、言いたいことがたくさん出るのは分かります。こんな時だから語気が強くなってしまうのも分かります。でもだからこそ、こんな時だからこそ、努めて優しい言葉で話しませんか。
僕はウイルスも恐れますが、サタンも同じくらい恐れます。汚い言葉が世に増えるほど、みんなの心がジリジリと確実に削られます。そしてまたサタンのエサも汚い言葉も増えてしまうという悪循環。それを止めるために、できるだけ優しい言葉を。
このウイルスに勝つために僕たちができることは「STAY HOME」だけではありません。「STAY HOME と優しい言葉」、これが今求められているのではないかと思います。
自然と優しい言葉が出るような優しい日々が少しでも早く訪れますように、神様に祈ります。それではまたいずれ。 MARO でした。
主にありて。