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2021年最後の主日を迎えた。アドベントから始まる教会暦ではまだまだ始まったばかりであるが、西暦では「年末」。ルーテル教会は1月から12月を「1年度」としているので、「年末プラス年度末」となり、「クリスマスの忙しさが終わったばかりなのに…」とボヤキながら毎年まとめの作業に取り掛かる。そして今年もその時期がやって来た。まとめの作業の中には、年間の諸行事の出席者の報告も求められている。今年その報告の様式に大きな変化があった。これまでは「男女別」の報告を求められてきたが、今年から出席者を「大人」と「子供」としてカウントすることになったのである。ここ数年来のジェンダーに関する取り組みの結果でもあるが、私たちの教会の取り組みはかなり遅れていたことは否定できない。私もその一員であるし、「求められている報告書が男女別なのだから」と言い訳しつつ出席者に「男性・女性」を強いてきた。ジェンダーのことについて意識してこなかったと反省している。もちろん、反省するだけでなく、更に学びを深め、苦悩してこられた「LGBTQ」の方々に寄り添うことができる私でありたいのだが、これまで男らしさや女らしさを無意識・無感覚に求め考えていた自分自身が変わるためには、日々研鑽(けんさん)するしかないだろう。
そういう私が目を凝らしたのが、今年の保育園児降誕劇だった。「羊飼い」「博士」のひとりは女の子、「星」は全員男の子、そしてマリヤとヨセフは女の子二人。子どもたちはそれぞれに自分がやりたい役を選んだ結果なのだという。「役割を性に固定しない」、即ちジェンダーを意識しない・させない降誕劇をやり切ったのである。かつて私自身が子育て真っ最中の時に、テレビ寺小屋という番組で「子供は大人が思うほど子供じゃない」という言葉を聞き、子育ての視野を広げてもらった記憶があるが、まさにジェンダーについて考えようとする今、子供の感性に学ばされることこそが必要なのだと教えられているようだった。降誕劇の時だけでなく、日常の中でしっかりと子供を見詰めることが、研鑽の「始めの一歩」だったのだろう。そう、先のテレビ番組は子供に続いて、「大人は子供が思うほど大人じゃない」という言葉も続いていたのを付記しておく。
遅まきながら11月末のアドヴェントから、出席者記入表から「男性・女性」を外し、週報の出席人数報告も「大人・子供」でのカウント数とした。牧師となり教会の責任を負うようになって間もなく40年。この間に「男性・女性」の記入を求められて辛い思いをさせてしまった方々に、今は心からお詫びしたい。新しい年、ジェンダーに関して少しでも歩を進めていきたい。皆様、良いお年をお迎えください。