ライフ・エンディング・フェア2019が14日、大田区産業プラザPio(東京都大田区)で開催され、宗教学者の島田裕巳(しまだ・ひろみ)さん、東京基督教大学教授の大和昌平(やまと・しょうへい)さん、浄土真宗倶生山(ぐしょうさん)慈陽院(じよういん)なごみ庵の住職、浦上哲也(うらがみ・てつや)さんによるパネル・ディスカッションが行われた。
浦上さんは一般家庭から僧侶になって、13年前に「なごみ庵」を開所し、大和さんは牧師をしながら佛教大学大学院に進学したという、両者とも異色の経歴を持つ。
島田 葬儀で大切なのは、死んだ人をどこに送るか。仏教はそのストーリーが非常によくできていて、多くの日本人が納得してきました。また、位牌(いはい)などが供養の対象となり、故人を弔(とむら)う上で重要な意味を持っていたが、キリスト教はそういうものがないので、そこが仏教より弱いのではないでしょうか。
大和 これまでの葬儀のかたちが崩れてきて、「自分らしい葬儀をしたい」という時代が来ていると思います。「アブラハムは長寿を全うして息を引き取り、満ち足りて死に、先祖の列に加えられた」(創世25:8)と聖書にあるように、「創造主のもとで生きて死んでいくことを感謝する」という葬儀文化を日本に根づかせられればと思います。
浦上 儀式に関しては、はっきりした内容よりも雰囲気が求められる面もあります。ただ葬儀は、仏教の話をする格好の機会なので、私は分かる言葉で話をします。すると参列者から、「葬式でこういう話を聞くのは初めてだ」とよく言われるんです。ほかのお坊さんは何をしているのでしょうか。
島田 「偽(にせ)のお坊さんが葬儀をすることは許せない」という感覚は日本人の中に非常に強いのに、キリスト教式の結婚式だと偽の牧師でも許容してしまうのは、日本人にとってキリスト教との関係が遠いからだと思います。
これから葬儀のターゲットとなるのは団塊世代です。経済成長のいちばん良い時代を生きてきた世代が、数年先に死を迎えるとき、これまでの生活の延長線上で死と向き合うことができるのか。そういうことを問いかけ、そこで悩んだ時にこそ、初めて人々は宗教の話を聞くことができるのではないでしょうか。
大和 そう問いかけるためには、その人たちと接点を作らないとなりません。そこで、誰もが集まれる居場所づくりが必要です。それは福祉の働きでもあり、教会はそういうところに打って出ないとならないでしょう。
浦上 台湾では医療と仏教の結びつきが非常に強く、病院には女性僧侶がいて、患者の悩みを聞きます。また、町中のお寺が看護ステーションの役割を果たしていて、各家庭に看護士とボランティアと僧侶が3人一組で行くといいます。
島田 あまりにも寿命が長くなった中で、最後どうけじめをつけるか。仏教でもキリスト教でも考えなければならない課題です。
大和 教会は、「死をどう迎えるか」ということを現代人に発信していかなければなりません。自分の教会の人に対してだけでなく、地域の人が関わるような働きとメッセージが必要ですね。
浦上 現在、僧侶仲間と「仏教死生観研究会」を立ち上げ、医療者と一緒に勉強会を始めたところです。先々、安楽死と尊厳死が法制化されたとき、仏教が悪い利用の仕方をされるのでないかと懸念があるので、そこに対応できるよう勉強していきたいと思っています。
パネル・ディスカッションに耳を傾けていた女性(60代)はこう語る。「ふだん聞けない話を聞くことができ、とてもよかった。仏教式の葬儀でいつも疑問に思っていたことが、ようやく腑(ふ)に落ちた気がします。参加できてよかった」