急に寒くなってきましたね。なんか今年は激アツな短い夏があっという間に去り、待ってましたとばかりに秋が駆け足でやってきました。先週から、朝晩はカーディガンや首元を温めるストールが必要になってきましたが、我が家のクローゼットはまだ夏物!せいぜい晩夏から初秋くらいまでをしのげる薄い羽織りものばかりで毎朝着るものに困っています。皆さんはもう衣替えはお済みですか?イマドキの若い人は” 衣替え ”なんて言葉も必要ないみたいですよ。息子に聞きましたがやはり衣替えは大学に入った頃からやっていないそうです。何故なら通年Tシャツで過ごし、寒くなったらネルシャツやダウンジャケットを羽織れば良い、色々重ね着をすれば冬物とか秋物とか必要ないんだよ~^-^;;だそうで、季節で色や質感を楽しみたい私世代にはなんとも味気ないですねぇ。まぁ長引くコロナ禍ですから、お洒落なんぞ楽しむより服も機能性重視、洗える、ウイルスや花粉を寄せ付けない素材などなど、さらにショップに行って買う密を避けるため今年は通販サイトが大人気だそうです。衣替えというより着方、買い方変えという感じでしょうか。
よくクリスチャンです、というと清楚で質素が第一だろうからオシャレとか流行なんてあまり興味がないでしょう、と言われます。確かに修道女の方々の寡黙なモノトーンや、アーミッシュのシンプルな着こなしがクリスチャンの装いをイメージ付けているような気もいたします。私も洗礼を受ける前は、クリスチャンになったら髪を染めたり厚化粧をして爪先まで赤やピンクに光らせなくても良い、というかそういうのはご法度だと思っていました。実際40年近く昔のことですが、洗礼後にうかがった教会主催のコンサートで華美になってはいけないと思い、ほとんどスッピンでピアノ弾き語りをした時のことです。終演後に一人のおばあちゃまから声をかけられ「アンタ顔色悪いねぇ、具合が悪いのかい、人前に出るときは頬紅ぐらいぬった方が礼儀だよ!」(笑)
でもこのお声かけは私にとっては「天の声さん」でした。
聖書は確かに派手な髪型やアクセサリーじゃらじゃらの服装より、つつましく控えめなファッションを推奨しているようです。
同じように女たちも、つつましい身なりで、控えめに慎み深く身を飾り、はでな髪型や、金や真珠や高価な衣服ではなく、神を敬うと言っている女たちにふさわしく、良い行いで自分を飾りなさい。(Iテモテ2:9〜10)
ペトロさんはさらに、髪を編んだり金の飾り物を付けたりすることで着飾るのではなく、もっと内面の見えないところでお洒落をしなさいよ、と言っているようです。
あなたがたの飾りは、髪を編んだり金の飾りを付けたり、服を着飾ったりする外面的なものであってはいけません。むしろ柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人を飾りとしなさい。それこそ、神の御前で価値あるものです。(Iペテロ3:3〜4)
これが出来たら本物のオシャレさんなのかもしれませんね。ただ旧新の聖書のどこを見渡しても女性のお化粧やオシャレをハッキリ禁じているところは無いので、ちょっとホッとしています。神様の前に出る朝は、頬紅くらいぬって一番好きなお洋服で出かけるのも素敵なんじゃないでしょうか。面白いことに旧約聖書にはお化粧に時間をかけたり、なんと紀元前のアイメイクについても記述があります。エステル記には美少女のエステルの美貌にさらに磨きをかけるために、1年間もの美容準備期間をもうけたと書かれています。
準備の期間は、六ヶ月は没薬の香油を、次の六ヶ月は香料と女たちのための化粧品を用いて化粧することで、完了するのであった。(エステル2:12)
これが半端ないエステで半年は没薬の油で(肌を整えたのでしょうか…)、もう半年は香料と様々なお化粧品で仕上げをしたと読めますね。そう、このエステティックという語の語源こそがエステルその人なのでした。
迫力あるアイメイクで登場するのはイゼベル王女です。
イゼベルはこれを聞いて、目の縁を塗り、髪を結い直して、窓から見下ろしていた。(II列王記9:30)
悪名高い王女ゆえに目力も際どいラインで描かれていた印象ですが、この後に不幸な死を迎えるので、贅沢(ぜいたく)と悪徳に塗られた彼女の断末魔は恐ろしくもあり厚化粧なんてダメダメという気分にもさせられます。ご興味のある方はどうぞ列王記の最初から読んでみてくださいね。
女心と秋の空なんて言いますが、ファッションからヘアメイクまで、数千年の時空を超えて今月は殿方にはご縁のないお話になってしまいました。コロナ禍で外出の機会も減りましたが、内面も外見も日々バイブルでエステ!これが健康で美しくいられるコツかもしれませんね。
人はうわべを見るが、主は心を見る。(Iサムエル16:7)