突然ですが皆様はご兄弟はいらっしゃいますか?息子が小さい時にはダンゴ三兄弟なんて楽しい歌が流行りましたが。確かに昭和の昔は四人、五人も珍しくなかったそうですね。今は周りを見渡してもダンゴ三兄弟はなかなか見当たりません。兄と妹に挟まれた私の主人くらいでしょうか。なにしろ少子高齢化の時代ですから、最初の子供を授かった時点でもう年齢的に精一杯、第二子は欲しいけれど体力的に難しいというママさんも多いと聞きます。そんなわけで一人っ子は年々増えているそうですが、そういう自分も小さい時に弟を亡くしたので一人っ子、ずっと兄妹がいる友達が羨ましくて「お兄ちゃんお姉ちゃんが欲しい!」と母を困らせたもんです。そんな私が高齢出産でやっと授かった小さな男の子、彼もまた「兄弟欲しかったなぁ~」って、皮肉にも同じこと言われました。その気持ち痛いほどわかるけど寄る年波には勝てませんでした。実は一人っ子って兄弟の良さも面倒くささも全然わからないんですよ。喧嘩しながらも仲が良い?のが兄弟だと勝手に思ってきたのですが。。。
最近世界のニュース紙面を賑わせているあの兄弟、英国のウィリアム王子とヘンリー王子の場合はどうでしょうね。ここでは王室に関するコメントや、米国でのヘンリーご夫妻の活動の良し悪しには触れませんが、シンプルにご兄弟のお話と考えるとお兄さん弟さんにそれぞれ言い分があるように思えました。王位という重たい冠を一番手に継承しなくちゃならない兄と、継承の順序だけでなく王室という閉ざされた宮殿の中で、いつも兄の次という席順の弟、将来の描き方も違って当然かなぁ、なんてね。『どうせこの家は兄貴が継ぐんだろうから、僕は自由にやらせてもらうよ!』あれ、このセリフどこかで聞いたことありませんか。そうそう、映画にも小説にもお馴染みの兄弟ものです。律儀で真面目な兄さんと奔放な弟のストーリー、もうここまで来ると皆様は「エデンの東」(ちょっと古いかな)のジェイムス.ディーン!彼の虚ろな横顔が見えてきたりしませんか。または韓流ドラマの「ケイン&アベル」(カインとアベル)とか^-^:。そうです、これらの元ネタである聖書の兄弟愛、いや兄弟憎悪は実に奥が深いと思います。
とにかく一人っ子が聖書読むと「兄弟ネタ」がめちゃ多いと気づきます。創世記の初めからカインとアベル、イシマエルとイサク、エソウとヤコブ、またノアの息子たちのダンゴ三兄弟セム・ハム・ヤフェテやヤコブの12人の息子たちもかなり個性が際立っています。イエス様のお弟子さん達にもキャラが立ってる兄弟たちがいっぱい。すぐカッとなるから雷野郎!とニックネームを主からつけられたヤコブとヨセフ、カトリックでは初代教皇様のペトロと兄弟アンデレも、漁師時代のユニークなエピソードには事欠きません。またレンブラントの名画でも有名な「放蕩息子」のたとえ話など、どうしてこんなにも聖書ってお父さんと兄弟のお話が多いのでしょうか。一人っ子ってお菓子もおもちゃも全部自分のもので育つので、上手に分け合うことが苦手、でもガメツイんじゃないんです。自分の取り分に疎いので知らない内に取られていたり^-^;気前よく全部手放しちゃったりね、だから聖書の兄弟同士の葛藤や駆け引きに興味を覚えるのかもしれません。
クリスチャンの方は聖書が教えるお父さん、お兄さん、弟とはどなたのことかきっと良くご存知と思います。最近聖書を読み始めた方はこの父とは、兄とは?誰のことだろうと想いを巡らせながら物語を楽しみにしてくださいね。教会でも信徒の方々を姉妹、兄弟と呼ぶのは最初こそ抵抗がありましたが今では有難いと思えるようになりました。なにしろ全世界でも私には数億人の兄姉がいるわけですから心強いです。でも兄弟がいつも仲良しというわけではない現実の物語は、バッキンガム宮殿でも小さなアパートメントでも同じかなぁ。一緒に笑い一緒に泣いて、一緒に怒って、でも互いに謝るって、これが難しいんですけどね。だってクリスチャンって一人っ子じゃないから天の父さんを独り占めできないでしょう。だからこの「一緒に…」がこの先の人生街道の道標となりました。家庭でも職場でも、そして教会でも。
最後にイスラエル民謡としても歌われている大好きなみ言葉を皆さまへ!
見よ。なんという幸せ なんという楽しさだろう。
兄弟たちが一つになって ともに生きることは。それは頭に注がれた貴い油のようだ。
それは ひげに アロンのひげに流れて
衣の端にまで流れ滴る。それはまた ヘルモンから
シオンの山々に降りる露のようだ。
主がそこに
とこしえのいのちの祝福を命じられたからである。
(詩篇:103篇)
*クリスチャンプレス、今まで読んでくださり本当にありがとうございました。