幼稚園の本棚にあるシリーズものの図鑑のうち、数冊が昨年度末に新品と入れ替えられました。恐竜、昆虫、鉄道――それらの図鑑は特に園児たちに人気が高く、よく読まれてボロボロになっていたものです。時々、園児は私の前に図鑑を広げて写真を指しながら、「これは○ ○ でね……」と知識を伝授してくれます。昨年度、私はクワガタやカブトムシについて以前よりは詳しくなり、今年度は新幹線を見分けられるようになりました。
子どもたちはブロックで新幹線を作って、走らせて遊んだりもします。ある日、長い長い四角形を「これ、しんかんせん!」と言いながら、「ガタンゴトン、ガタンゴトン」と走行音をつぶやいて遊んでいた園児の姿がありました。新幹線はガタンゴトン鳴らないのよねと思いながら、そうか、四国には新幹線が走っていないから、見たり聞いたり乗ったりする機会がなかなかないのかと気づきました。
幼児が新幹線に乗ったことがないというのは驚くに値しないことですが、車社会の地方での生活においては在来線に乗るということも非日常のイベントになり得ます。私の息子も、車で行った方が格段に早く着く目的地に、わざわざバスや電車に乗って出かけることをとても楽しみにしています。
都市部に暮らす人々にとっては電車に乗るという何気ないことが、地方に暮らす子どもにはイベントとなることを考えると、そこにはやはり経験や、その他の格差があることを思わされます。もちろん、都市部ではなく地方に暮らすから身近に感じることのできる事柄やものもたくさんあるでしょう。経験の格差をなるべく埋めてやりたい思いもありますが、より見つめたいのは価値観の形成に影響する部分です。
地方においてはあらゆる場面で(キリスト教界でも!)ジェンダーバランスは不均衡なままで、家父長制が当然のものとされていることを肌で感じますし、多様な人々が共に生きる社会(が実現していなくても、少なくとも目指そうとしていること)を感じられる場面は都市部よりもずっと少ないと感じるのです。新しいものや価値観との出会いや、それを受容していく姿勢との出会いが少ないと言った方が分かりやすいかもしれません。
教会はどうでしょうか。新しい出会いを求め、その出会いによって変えられていくことを望む姿勢を持っているでしょうか。それとも、変わるべきは教会ではない、現状維持こそ喫緊の課題であると考えるでしょうか。
教会は多くの見える教会とのつながりを与えられており、そのつながりは大きな広がりを持っています。すべての教会はキリストという共通の言(ことば)、命を喜んでいます。そしてその喜びに生かされ、共に世界のあらゆる課題を見つめ、共に取り組み、被造物全体と神を賛美することを望むコミュニティを持っているのです。このコミュニティに真に属するなら、私たちは自己憐憫(れんびん)に陥ることはなく、古く狭い世界に留め置かれたりすることもありません。決して旧い歌を歌うことではなく、新しい歌を主に向かって歌うことへと導かれていくでしょう。子どもたちを前にして、新しい世界へのドアを開くことが地方教会に与えられている大きな働きであると思わされています。
うめさき・すまこ
1991年福岡県生まれ。2004年日本基督教団犀川教会(福岡県)にて受洗。2016年関西学院大学大学院神学研究科前期課程修了。甲山教会(広島県)主任担任教師を経て、2022年より宇和島中町教会(愛媛県)主任担任教師、附属鶴城幼稚園理事長・園長。