Let’s try? 吉田尚志 【地方からの挑戦~コレカラの信徒への手紙】 

私の所属する教会の活動の一つに〝バイブルスタディ〟というプログラムがあります。内容は日本語と英語のバイリンガルによる聖書の学び会です。主に近隣の大学に留学生として在籍しているインドネシア人クリスチャンたちが主要メンバーとして参加しています。〝バイブルスタディ〟が始まったのは、私が教会に赴任して間もないころでした。そもそもこのプログラムが始まったのは、当時教会の礼拝に参加していたインドネシア人の留学生たちからお願いされたことがきっかけでした。

礼拝に参加する留学生の様子は、日本語をあまり理解できていなくても礼拝をささげることそれ自体に大きな喜びを抱いているように見えました。一方で、日本語による礼拝だけでは難しい、聖書の言葉に対する理解を深め、そのメッセージを分かち合うことへの渇望が、留学生たちの切実な願いの根底にあったのだと思います。ですが、困ったことに私には英語のスキルがほとんどありませんでした。そこで、〝バイブルスタディ〟など到底できるはずもないと思い、お断りの旨を伝えたところ、留学生たちが普段の様子からは想像もできない悲しそうな表情を浮かべたのです。それを見て私の口からとっさに出たのが、〝Let’s try?(挑戦してみましょうか?)〟という言葉でした。あまりにも見切り発車がすぎる、これが〝バイブルスタディ〟の始まるきっかけとなった出来事です。

当然のことですが、それから頭を抱えることになりました。どうすれば〝バイブルスタディ〟が成立されるのか、皆目見当が付きませんでした。しかし、思わぬ出来事が起こります。2年ほど前から教会に通っている方から、〝バイブルスタディ〟に参加したいという申し出を受けたのです。

赴任してひと月あまり、それまでほとんど話したことがなかった方でしたが、牧師不在時期に教会に来られたということで、その目的が聖書を学ぶためというものでした。〝バイブルスタディ〟が始まることを聞き、念願叶いぜひ参加したいとのことでした。そして、ここで驚くべきことを知らされます。以前、バイリンガルの日本人経営管理者を外資系企業へ紹介する会社に長年勤めた経緯を持つ、十分な英語スキルのある方だったのです。この方の存在によって、言語の壁という問題への対応が整えられ、〝バイブルスタディ〟が始まっていきました。

時に、さまざまな問題に直面する現状にあって、「教会に一体何ができるのか?」と葛藤することがあります。そんな時私は、赴任当初に経験したこの〝バイブルスタディ〟が始まった出来事を思い出します。私のとった一連の行動は、合意形成を大切にするバプテスト教会の牧師としてふさわしいものではなく、また一つ間違えば結果的に留学生たちを落胆させてしまいかねない軽率なものでもありました。そのことは反省と悔い改めとともに重々心におさめていかなければなりません。

ただ、その後9年間この〝バイブルスタディ〟は教会の大切なプログラムの一つとして、困難がありつつも聖書の言葉とそのメッセージを分かち合う豊かな機会となってきました。時には留学生たちの抱える悩みや不安を分かち励まし合う場となり、また、通訳を担ってくださった方がバプテスマを受けるに至った大事な機会ともなりました。

その歩みを振り返る時、神さまの出来事というのは時として、教会の想像を越えて、神さまが託す使命として教会に起こされていくことを私は信じていきたいです。「何ができるのか?」という教会の葛藤を包み込んでいく神の出来事がある。〝Let’s try?〟

一つひとつの出会いの中で、あの時口からふいに出たこの言葉を思い続けていきたいです。

よしだ・なおし
 1977年岩手県生まれ。高校卒業後は、実家が経営する食料品や惣菜を販売する商店に勤務。30代半ばに牧師として献身することを志し、西南学院大学神学部に入学。卒業後、2016年4月から室蘭バプテスト・キリスト教会牧師。

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