2014年の釈放から10年。死刑囚として生きることを余儀なくされた袴田巖(いわお)さんの闘いの軌跡が、9月26日の再審判決の結末を待って、ついに劇場公開される。死刑囚の再審無罪は1980年代に4例あるものの、今回無罪となれば35年ぶり、戦後5例目。22年間にわたり巖さんと姉の秀子さんを追い続けてきた笠井千晶監督に話を聞いた。
――袴田さんとの出会いから映画制作に至る経緯は?
静岡放送に勤務して4年目の2002年。静岡県警の記者クラブで、東京拘置所に収監されていた巖さんによる直筆の手紙の存在を知り、実物をひと目見たいと秀子さんに連絡して、会いにいったのが最初の出会いでした。初めて袴田事件を知って衝撃だったのは、家族や弁護士以外の第三者が一切会うことを許されないという死刑囚の境遇でした。世の中から姿を見られることも、その声を聞かれることもなく、でも社会のどこかで今日、この瞬間も息をしているという事実。
当時は、夕方のニュース番組で扱うための取材のつもりでした。何度か短いニュースや特集を作りましたが、2004年に初めて1時間の番組「宣告の果て 〜確定死刑囚・袴田巖の38年〜」を作ることになり、以来4本のドキュメンタリー番組を制作することになりました。
いつか映画にできたらという思いはありましたが、まだはるか遠い夢のような話でした。再審請求から33年後の2014年、静岡地裁で「再審開始」が認められ、悲願だった釈放の場面に立ち会うことになり、自らの手で映画にしようと決意しました。
当時は名古屋で中京テレビの報道ディレクターをしており、取材のエリア外でもあったので、休みの日に自費で取材を続けていましたが、このまま片手間にはできないとの思いから2015年に独立しました。撮影にあたって物理的、経済的なたいへんさはありましたが、絶対に完成させたいとの思いで、ひたすらお二人の日常を撮り続けてきました。
――その積み重ねがようやく日の目を見ることになったわけですが、2024年の公開は想定されていましたか?
お二人が元気なうちに公開したいと願っていたので、2023年3月には完成させるはずだったのですが、検察が特別抗告を断念したため東京高裁で「再審開始」が確定したことを受けて、ここまで来たらやはり最後の判決まで見届けようと予定を変更しました。まさか再審の判決が出る絶好のタイミングで公開できるとは思ってもいませんでした。
――長期間にわたる取材で、制作のモチベーションをどう維持されたのでしょう?
本作については私の中で絶対やり遂げるということを決めていましたので、途中で断念するという選択肢はありませんでした。巖さんと秀子さんのお二人が何より魅力的ですし、これだけ長い間そばにいた私としては、作品を作りたいというより、お二人を見守り続けて記録に残すことで恩返しがしたいという気持ちの方が上回っていました。
――裁判そのものよりもお二人の日常に焦点が当てられている点が印象的でした。
この映画において裁判の過程や冤罪か否か、死刑制度の是非はもちろん必要な要素なのですが、それは最小限に留めました。58年前の殺人事件を前提とした「冤罪の可能性が高い死刑囚」という描き方ではなく、逮捕される前の30年間の人生も含め、巖さん自身の人となりや生い立ち、秀子さんとの関係性、釈放後の暮らしぶりまでを1本の線につないで伝えたいとの思いがありました。
――作中には神社にお参りするシーンや自らを「神」と語るシーンも登場します。タイトルの「祈り」にもつながっているのでしょうか?
巖さんはある時期、何を思ったか近隣の神社やお地蔵さんに毎日10カ所以上、お参りしていたことがありました。ご自身は獄中で教誨師の教えからカトリックで洗礼も受けられていますし、おそらく聖書もかなり読み込まれていて、その世界観はしっかり頭に入っておられます。ただ、明日、死刑になるかもしれないという極限状態を生き抜くために、自分を守る術(すべ)として独自の精神世界を構築されていったようです。
何を祈っているのかを考えながら取材してきましたが、やはり自分だけが無罪になって救われたいということではなく、むしろ自分は幼い子どもや女性、動物など、弱いとされている存在を救う側になろう、そして世界が穏やかであってほしいという願いだと感じました。自身が虐げられてきたような悲劇が起きない世界を、ゼロから作り直したいと。私もそれらの言動を、拘禁反応による妄想で現実とは乖離したおかしなことを言っているとは捉えずに、巖さんが心の底から信じていることだと思って耳を傾けようと心がけました。
世間では、無罪になることだけが巖さんにとってのゴールだと思われているかもしれませんが、私は少し違うと思います。巖さんの中では、無罪かどうかという次元はとっくに超越されていて、もっと壮大な理想を心に思い描かれている。それは巖さんの心の中の戦いでもあり、タイトルにも付けた「祈り」という言葉が最もしっくり来ると思いました。
*全文は紙面で。
かさい・ちあき 1974年山梨県出身。お茶の水女子大学卒業。新卒で静岡放送に入社し、報道記者としてニュースやドキュメンタリー番組に携わる。2002年より袴田秀子さんと親交を深め、20年以上プライベートでも撮影しながら交流を続ける。2006年に同社退社後、ニューヨーク留学を経て、2008年より中京テレビ に 勤 務。2015年に独立しフリーランスに。Rain field Productionを立上げ、テレビやネットなどでドキュメンタリーを発表している。本作は長編ドキュメンタリー映画2作目となる。