人生は決断次第で決まる
人生を送る中で、物事に行き詰まって、どうしようもなくなることは珍しくない。自分がみじめに思えたり、不安になったり、他人を恨(うら)んだり、羨(うらや)ましくなったり、世間が憎たらしくなったり、死んでしまいたいと思ったりする。行き詰まりを打開するには、どのような術(すべ)があるのだろうか。万能策ではないにせよ、少しでも役に立つならと、日頃の経験の中から得た手がかりを以下に挙げてみた。
筆者の専門領域のひとつである実践的な心理理論「交流分析」では、人生を決定する要因は4つあるという。
第1に「生得的要因」がある。生まれつきの体質や資質がこれに当たる。頑健か、病弱か、障がいをもって生まれたかは、人生のあり方を決める。
第2に挙げる「生育環境」も、人生に大きく影響する。劣悪な環境に育ったか、恵まれた環境に育ったかなど、生育環境は、人生を形成する大きな影響要因となる。
第3に「出来事」がある。人生には何が起こるか分からない。突然の災害、思わぬ病気、事故など、予期しないことが起こる。
これら3つの要因は、自分の責任の中にない。また過去のことなので、いまさら変えることもできない。人によっては、これらの要因で人生のすべてが決まってしまったと思い込んでいることもある。もはや人生は変えられないのであろうか。
人生を変えるために必要な要因がひとつある。第4番目に挙げる「決断」であり、さらに言えば「決断の仕方」である。
人の人生は、決断の仕方次第で変わる。この決断がうまく働かないと、「こんなはずではなかった」と悔いを残す。「これで良かった」と自分の人生に言える時は、生きる勇気と達成感を手にしている。そのためには、少々の知恵がなくてはならない。
よく知られたラインホルド・ニーバーの祈りには、「変えることのできるものは変える勇気(Courage)を、変えることができないものは受け入れる平静心(Serenity)を、そして変えることができるものと変えることができないものを峻別(しゅんべつ)する知恵(Wisdom)をお与えください」とある。
すでに述べたように、人生を決定する3つの要因──生得的要因、環境的要因、出来事は変えることができない。「過去と他人は変えられない」という言葉がある。「もっと頭脳明晰(めいせき)であればよかった」、「お金があればよかった」、「あの人があんなでなければ」、「あのことさえ起こらなければ」と願ったところで、変えることのできないものは変えられない。そうならば、これは平静心をもって受け入れる以外にない。
しかし、変えることができるものがある。それは己の決断の仕方である。そのためには、変えることができるものは何であるかを〈知る〉ことから始まる。そして、起こったことを知れば、〈耐え忍ぶ〉時が過ぎる。耐え忍ぶとは、つらくとも時間を待つことを意味する。時間は急ぐためにあるのでなく、待つためにあることを知らねばならない。「成熟した人間は、時間を待つことができる」と言われる。逆に言えば、時間を待つことで成熟していく。「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むと」とパウロが言うとおりである(ローマ5:3~4)。
時間は、待つ間に何事か変化をもたらす。その変化は小さいかもしれない。しかし、どんな大きな変化も、小さな変化から始まる。その小さな変化を注意深く見て取らねばならない。人間には自ずと備わった回復力(Resilience)がある。小さな変化は、その回復力の兆(きざ)しを見せている。ちょっとした振る舞い、ちょっとした言葉、ちょっとした気持ちの変化の中に、肯定的に現れている。その変化は、やがて人生に「これで良かった」と言える決断への小さな一歩である。