今日6月30日は小倉昌男の帰天日。「クロネコヤマトの宅急便」の生みの親であるヤマト運輸株式会社の代表取締役社長を務めました。
父親が経営する大和運輸(当時)に入社した翌年、小倉は結核で闘病生活を送ることになりました。その時、当時つきあっていた恋人から聖書を贈られたことと、救世軍の大佐(牧師)の訪問を受けたことがきっかけで、20代の時に救世軍に入隊し、クリスチャンとなります。その後、60代で、夫人の所属したカトリック麻布教会で改宗しました。
小倉のことを身近に見ていた娘はこのように証言しています。
「父の考え方の根本はかなりキリスト教に基づいていたように思います。自分でよく語っていたのは『イエズスがみんなの罪を救うために十字架にかかってくれたんだから』という言葉。実際、父の視点というのは、必ず弱いものに惹(ひ)かれていました。絶対強いものにはいかない。……それは自分が弱きものという自覚があったのかもしれない」
「父は私が幼稚園に入る前から、毎日寝る前にお祈りしていました。神様に『おやすみなさい、お守りください』とお祈りする」
その背後にあった、小倉にとって信仰がなくてはならないものだった秘密は、森健『小倉昌男 祈りと経営』(小学館)に詳しい。