今日7月30日はエミリー・ブロンテの誕生日です。『嵐が丘』を書いた英国の小説家。ブロンテ3姉妹(実際には5人姉妹で、下の3人が小説家)の4女で、『ジェーン・エア』を書いたのは3女のシャーロット、末の妹のアンは『ワイルドフェル屋敷の人々』を著しました。
父親は英国国教会の牧師で、ジョン・ウェスレーのメソジスト運動からも大きな影響を受けました。母親が38歳で亡くなったため、他の姉妹と共に寄宿学校に送られますが、劣悪な環境のため、上の二人が肺結核で相次いで亡くなり、家に連れ戻されることに。それから、きょうだいで空想にふけって物語を作っていたことが後の歩みを決定づけます。
29歳のとき、『嵐が丘』を出版します。今では『リア王』『白鯨』に並ぶ「英米文学の三大悲劇」として高く評価さる作品ですが、登場人物の性格の荒々しさやモラルのなさなどから、当時は酷評されます。その翌年、結核により早世したエミリーは、父が牧会し、幼い頃から過ごした聖マイケル教会の地下納骨堂に葬られました。
主人公ヒースクリフが自分を裏切った人々とその子どもに徹底的に復讐する話ではありますが、英文学者の廣野由美子(ひろの・ゆみこ)さん(京都大学大学院教授)は、「『嵐が丘』は、聖書をふまえた内容や表現が全編に散在し、聖書と切り離すことのできない作品」と評しています(「『許されざる者』とは誰か──『嵐が丘』の神学的解釈」)。