今日7月24日は芥川龍之介が亡くなった日です。短篇小説の名手で、「蜘蛛(くも)の糸」「杜子春(とししゅん)」など児童向けの作品も有名です。
父親が43歳、母親が33歳のとき、つまり両親とも大厄(たいやく)の年に長男として生まれた「大厄の子」でした。そのため捨て児のかたちをとり、生家の筋向かいの教会の門前に形式的に捨てられたといいます。生家は築地居留地の一画にあったのです。
一高に入学し、聖書を熱心に読むようになり、プロテスタント教会の礼拝にも出席しています。ところが、東京帝国大学に在学中、青山女学院に通っていた恋人と結婚しようとしますが、家族の反対により断念。以後、「エゴイズムのない愛」を信じられなくなり、キリスト教から離れることに。
それでもその後、「侏儒の言葉」「西方の人」「煙草と悪魔」「尾形了斉覚え書き」「さまよへる猶太人」「るしへる」「奉教人の死」「邪宗門」「きりしとほろ上人伝」「じゅりあの・吉助」「黒衣聖母」「南京の基督」「神神の微笑」「報恩記」「おぎん」「おしの」「糸女覚え書」「続西方の人」など、切支丹物(きりしたんもの)と呼ばれる作品を多く残しています。
晩年は胃潰瘍、神経衰弱、不眠などに苦しみ、1927年、「続西方の人」を書き上げたあと、致死量の睡眠薬を飲んで自殺しました。35歳。
近藤富枝『田端文士村』(中公文庫)には、亡くなる晩の芥川の様子が記されており、そこには、「ねまきに着がえ、ふとんの中で聖書を広げた」とあります。日本近代文学館(東京都目黒区)には、その枕頭に置かれていた聖書が所蔵されています。ピンクの色鉛筆でマタイ福音書の17箇所に傍線が引かれているといいます。そこにはまた、一高時代に友人から贈られた聖書、オックスフォード大学出版部刊の『THE NEW TESTAMENT』もあり、赤インクによるアンダーラインがたくさん引かれています。