第五章 岐路に立ち選択するとき
人生は選択の結果である。人生の結果に影響するのは、環境と出来事、そして生まれつきの素質であり、加えて自己の決断がある。環境と出来事と素質は変えることができないが、しかしそれだけで人生が決定されるわけではない。人生を最終的に決定するのは自己の決断である。その決断は、環境や出来事や生まれつきの素質にもかかわらず、それらを超えて人生を決定する。その決断を促すものはなにか。それを発見した者こそが人生に勝利する。
何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある。(コヘレトの言葉3章1節)
【解 釈】 何事も時間との関わりなしでは起こらないことを教える言葉である。しかし、人はしばしば物事と時間とが密接に結びついていることを忘れる。困ったことが起こると、すぐにでも解決しないものかと焦ったり、時期が到来しないのに早々とあきらめたりすることもある。物事はこちらの意に添うように起こることもあれば、またそうでないこともある。それは、起こったことが意に適う適わないというより、時に適うか適わないかによるのである。
物事はまた、そのときになってはじめて意味が分かったり、理解できたりすることもある。若いときには分からなかった親の気持ちが、歳を取るにつれ分かるようになるといったことである。またそのときが来たので、物事を実行する力が備わるということもある。経験や知識の習得には時間がかかり、それをじっくりと熟成させるときも必要である。その間はなにもできないかのようであるが、その空白と見えるときの流れもまた、なくてならぬときである。だから、物事を進めるについては時期を見定める必要があり、ときには忍耐して時期の到来を待たねばならない場合もある。
【こころ】 問題を抱えて相談に来られる方は、その問題が緊急であればあるほど、時間が過ぎていくのを待つことができません。早くなんとかならないものかと心が焦ります。しかし、いかなる問題といえども、時間のなかでしか事は解決しないのです。すべては時間のなかで決します。
ほとんど寝たきりと思われていた重度の障害者がいました。この人は施設に入所した
ころはなにひとつ自分でできず、食べることも排泄することもワーカーの手を必要としました。入所してほぼ20年ほど経ったころ、この人は車椅子に自分で乗ることができるようになったのです。もちろん車椅子に乗るといっても、ひょいと身軽に乗るわけにはいきません。にじり寄り、ステップにお尻を乗せ、体をよじらせるようにして、やっとのことで椅子に腰掛けることができるのです。おそらく2、3分はかかるでしょう。この人が車椅子に乗ることができるとは、はじめの状態を知っている者からすると、ほとんど信じられない奇跡のようです。しかし、この奇跡のために20年という年月を要しました。その時間をただ長いと思うか、あるいは時間のなかで奇跡が起こったと見るかは大きなちがいです。
賀来周一著『実用聖書名言録』(キリスト新聞社)より