日本聖書協会主催のクリスマス礼拝が6日、日本基督教団・銀座教会(東京都中央区)で開催された。礼拝堂には200人以上もの人が集い、クリスマスの恵みを分かち合った。
「ああベツレヘムよ」を賛美した後、ルカによる福音書2章8〜20節から大宮溥(おおみや・ひろし)氏(同協会理事長)が「天に栄光、地には平和」と題してクリスマス・メッセージを語った。
「クリスマスの夜、社会の底辺ともいうべき暗い部分に主の栄光が現れ、どん底を照らしました。この日、生まれたイエス・キリストは、神の子でありながら人間の苦しみを味わわれ、私たち人間の罪をご自分の身一つに受け取り、十字架上で死んでくださいました。そして復活され、滅びから私たちを救ってくださったのです。
イエス・キリストによって天と地が直結し、人類は神の国の市民として生きるという恵みにあずかりました。神の国では、神と人間の縦のつながりだけでなく、人間同士が愛し合う横のつながりも与えられます。その横の愛によって平和が築かれるのです。聖書の平和は、ヘブライ語では『シャローム』といいます。これは、人間が愛し合って共に生きる、愛と慰めに満ちあふれた共同生活のことです」
そして、「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです」(ガラテヤ2:20)という聖句を引用し、キリストを受け入れ、愛の共同体として共に生きる教会の姿を伝えた。
「私は天皇と同年齢で、その退位を聞いて、改めて自分が高齢で、人生の終わりに向かっていることを実感しました。老いたシメオンがエルサレム神殿でイエスに出会い、腕に抱き、『主よ、今こそあなたは、お言葉どおりこの僕(しもべ)を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです』と賛美をささげます(ルカ2:29〜30)。老人になって感じるのは、一遍上人(いっぺんしょうにん)の言葉『生(しょう)ぜしもひとりなり、死するも独りなり』で、孤独ということです。しかしイエス・キリストは、どのような時も一人ひとりの力となり、支えとなって共に歩いてくださる方です。クリスマスに東方の博士を導いた星のように、主イエスご自身が安らぐ星として頭上に輝いていることを私は強く感じています。
パウロが回心前にキリスト信者を迫害し、ダマスコに向かって旅をしていたとき、天から『サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか』という声を聞き(使徒9:4)、生けるキリストに出会いました。そのキリストは今も生きています。クリスマスの礼拝で私たち一人ひとりに出会ってくださるのです。
生けるイエス・キリストを、心を開いて受け入れ、そのご臨在によって、太陽のように私たちの内側を強くしてくださり、主の手に引かれて新たな年を迎えられることを心から願っています。神の愛を豊かに受け、また私たちも神の愛に応える。心尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして主を賛美し、愛し、また隣人と愛の共同体を築いていけるよう導いていただけることを祈ります」
その後、聖書事業功労者表彰が行われた。今年は、虎ノ門法律事務所代表(弁護士)で教文館会長の宮原守男(みやはら・もりお)氏(90)が表彰された。挨拶(あいさつ)に立った宮原氏はこれまでを振り返り、次のように語った。
「長い人生の中で、よき師、よき先輩にめぐり合うことができました。一人は、日本基督教団・美竹教会牧師で青山学院大学名誉教授の浅野順一先生です。先生に導かれて、曲がりなりにもクリスチャンらしい者になれたと思っています。そして、大蔵大臣も務め、教文館会長だった北村徳太郎さん。戦後、『どうせ収入がないだろう』と教文館の顧問弁護士を勧めてくれ、それが縁で今の立場にあります」
また、自身の結婚や本についても話した。
「浅野先生に紹介されて今の妻と結婚したわけですが、信仰は女性のほうがしっかりしているようで、今も女房に引っ張られて教会に行っております。そういう意味で浅野先生は、私がキリスト教から逃げられないように伴りょを決めていたのかなと。
また昨年、『信仰・希望・愛』という本を教文館の渡部満社長の好意で出版しました。これは、私が所属する日本基督教団・新泉教会での礼拝の話や、弁護士の仕事の話などをまとめたものです。ぜひお読みいただければと思います」