――どんな活動をされていますか?
テレビ番組「ライフ・ライン」(太平洋放送協会)のディレクターをはじめ、フリーランスで映像やWEB、ブランディングなどのディレクターとして活動しています。
――いろいろな分野で活躍されていて、多彩ですね。ディレクターの仕事に興味を持たれたきっかけは何だったのでしょう?
13歳のときに父にパソコンを買ってもらったのをきっかけに、インターネットの世界にハマり込み、動画クリエイターのコミュニティーに参加して、大学生や社会人の方たちと一緒に作品を作ったり、オフライン上映会を開いたりしていました。
この頃から自然とまとめ役になることが多かったですね。
10代前半でこうした体験ができたことや、illustratorやPhotoshopのような映像ソフトを使えるようになったことは、得難い経験でした。
――その頃にはもう、将来はディレクターの道に進もうと?
それが、多感な時期だったこともあって、インターネット特有の人間関係がちょっとしんどくなってしまって…。真逆のことをしたいと思い、自然が大好きだったことから、全寮制の農業高校に進学しました。
高校時代は、ほとんどパソコンには触れずに過ごしていたんですよ。
――リセットしたくなったんですね。いまのお仕事に繋がるのは、いつ頃からですか?
高校卒業後に進学した大学では、地域創生について学ぶ傍ら、バンド活動をしていたのですが、そのバンドがオーディションを勝ち抜いて、デビューすることになったんです。
ただ、音楽だけでは食べていけないため、働かなくてはならない。
そこで、もともと好きだった映像の仕事に就こうとテレビ局に入り、バンド活動とAD(アシスタントディレクター)の仕事を並行していました。
――ただでさえテレビ業界はハードな印象がありますが、バンド活動とのWワークとなると、体力的にも精神的にも厳しそうです。
そうですね。ライブで全国各地を飛び回ったり、深夜まで仕事をしていたり、かなりしんどかったです。
一応、日曜日は休みだったんですが、ほとんど明け方まで仕事をしているから礼拝に行きたくても行けるような状況ではなくて…。
この状況を3、4年続ける内に仕事もバンドも軌道に乗ってきたのですが、やはり無理があったようで、タイミングで突発性難聴になってしまいました。
音楽を続けるのが難しくなり、バンドを脱退し、ディレクターとして独立したのですが…テレビ局で働くディレクターでありながら自宅にテレビがない生活を送っていたんです。
当時の現場の環境や、自分が見たいと思わないコンテンツを作ることに疑問を感じるようになり、自分が学んできたこと、経験を活かせる農業関連のITベンチャー企業に転職し、当時暮らしていた仙台から上京しました。
――これまでの経験が線でつながりましたね。
ただし、期間を決めてもう一度独立することは決めていました。
1年半ほど勤めて退職し、これからどうしようか考えていたときに、日本G&M文化財団が当時手がけていた『聴くドラマ聖書』アプリのチームに声をかけていただいて、参加することになりました。
――2019年にリリースしたアプリですね。豪華声優陣によるドラマティックな聖書朗読は、一般メディアでも話題になりました。
このチームにいるときに、クリスチャンではない広告代理店やアプリ制作会社の方々とお仕事をしていたのですが、キリスト教業界のことを知らないがゆえのミスマッチも多かったんですね。
プロテスタントのキリスト教の背景があることを理解されずに、方向性の違う提案をされたり、その都度違いについて説明しなければならなかったり…。
同じ想いを持った人と一緒にものづくりができたら…という思いが、ITに関わるクリスチャンのネットワーク「CALM(カーム)」の立ち上げに繋がりました。
――そうだったんですね。改めてCALMの活動について教えてください。
CALMとは、英語で「落ち着いた」という意味を持つ言葉で、聖書の一節「私たちが命じたように、落ち着いた生活をすることを志し、自分の仕事に身を入れ、自分の手で働きなさい。」(テサロニケの信徒への手紙第一 4:11/新改訳 ) に由来します。
メンバーは紹介制および審査制で、現在、エンジニアやデザイナーなど8業種、全国各地から約130人が所属しています。
(つづく) ITの“たまもの”を持ち寄って、シェアし合う喜び。フリーランスディレクター・中村恵久(よしひさ)さん 【たまものクラブ】の続きを読む