2015年に始まったイスラーム映画祭が、今年で10回目を迎える。企画から開催までを一人で行ってきた主宰者・藤本高之さんへの本紙取材もすっかり恒例となった。「第10回開催」は、その初期から藤本さんが目標に掲げていた数字であり、コロナ禍中の苦労話なども毎年伺ってきただけに感慨深い。
上映全12作品は、うち7本が日本初公開、字幕翻訳新版が10本と例年になく力の入ったラインナップとなっている。なかでも今回は、アフリカ映画への重点化が新鮮だ。近年日本で観る機会も増えたチュニジアやアルジェリアといった地中海沿岸諸国の作品のみならず、ブルキナファソやスーダンなどサハラ以南の内陸部、サヘル地域の作品が複数含まれることはとりわけ注目に値する。
スーダン映画『さよなら、ジュリア』は、ある悲劇を軸に北部のムスリム女性と南部のクリスチャン女性を描く。同国では昨年4月に新たな内戦が勃発し、1200万人以上が難民化か飢饉に直面するとも報じられる。分断をテーマとする本作は内戦勃発の3カ月前に撮影を終えており、現状理解の上でも大きな助けとなるだろう。
ブルキナファソ映画『怒れるシーラ』は、キリスト教徒の婚約者家族の元へ向かう途中、ジハード主義者の武装組織に拉致暴行された遊牧民フラニの女性による復讐を描く。前回のイスラーム映画祭ではイラン山岳部に暮らすバフティヤーリー族の若い夫妻が主人公の『メイクアップ・アーティスト』が上映されたが、報道では滅多に言及されない少数民族の描写に触れられるのも、本映画祭がもつ魅力の一つだ。
イラン映画の名匠モフセン・マフマルバフ代表作『ギャベ』(1996年)も、イラン北西部ザグロス山脈の高原地帯で遊牧生活を営むカシュガイ族の女性を主人公とする。同監督はこの冬特集上映企画が全国を巡回し、1月にも亡命先のロンドンから来日したばかりだが、『ギャベ』は初期名作として知られながら日本国内では近年極めて稀な上映機会となる。
アフリカ映画では他に、『皮膚を売った男』でも名高いカウテール・ベン・ハニアの2014年作『チュニスの切り裂き男』が、日本語字幕付きでは初の上映となる。本作は、バイクに乗った男に女たちが切りつけられた革命前の2003年の事件を追うモキュメンタリー作品だが、同監督作としては前々回イスラーム映画祭上映作のクライムスリラー『マリアムと犬ども』も秀作であっただけに期待できる。
セネガルやブルキナファソ、カメルーンやモロッコなど多国籍合作による『母たちの村』は、アフリカ映画の父と呼ばれたウスマン・センベーヌ監督が、今も各地に残る女性性器切除の慣習廃絶を願って撮った一作だ。閉館した岩波ホールで2006年に上映された本作は、欧米目線で語られがちな〝因習〟を巡り、当事者目線から描写の襞を微細に織り込んでみせる。
今回アフリカに焦点化した理由を、藤本さんはこう語る。「今は色々な映画が観られるのに、昔のようにワクワクしなくなった。東京の映画祭や観客の好みも欧米偏重は変わらない。こうした中では、自力で集めて上映するほうが楽しいし、やりたいものをやろうと思いました」。コロナ禍中に映像配信業界が発達したこともあり、5年前と比べても確かに今日は世界中の若手監督作品を簡単に観られるようにはなった。しかしそれは同時に、同一の世界資本に支えられた表現の画一化をも促した。
「よくも悪くも映画市場はグローバル化し、みな小器用になって撮り方も編集も綺麗で数も増えているけれど、新鮮味に欠けるようになった。ただ、映画の成立した社会的背景やその国の歴史を知るとぐっと面白くなる作品はやはり存在する。そうしたものを扱いたい」。藤本さんはそう話す。
この意味でもう一つ今回特筆したいのは、南アジア圏の人々や社会問題を扱う3作品である。『カシミール 冬の裏側』は、インドとパキスタンの係争地で軍に拘束された夫を探す遊牧民女性の目を通し、カシミールの真実に迫る意欲作だ。『モーグル・モーグリ』は、著名なパキスタン系英国人俳優でラッパーのリズ・アーメッドが抱える移民第二世代ゆえの葛藤を映しだす。『神に誓って』ではラホールで活動する歌手の兄弟が、弟の過激思想への傾倒により味わう苦悶が描かれる。最終日にこの三作が連続上映される東京会場のプログラムは、毎年上映順にも繊細な配慮を忍ばせてきた藤本さんのイチオシでもある。
また本映画祭の特徴として、上映回の多くで専門家によるトークセッションが催され、充実したアーカイヴが出版される点も挙げられる。パレスチナ映画が1、2本必ず選ばれるのも本映画祭の恒例であったが、今年は『パラダイズ・ナウ』や『オマールの壁』で知られるハーニー・アブー=アスアド監督初期作『ラナー、占領下の花嫁』が上映され、アラブ文学者の岡真理さんが登壇する。
ほかにドイツのトルコ移民を描く1976年の西ドイツ映画『シリンの結婚』上映後には、ドイツ映画研究の泰斗・渋谷哲也さんも話す。岡さんや渋谷さんに加え、チュニジアへの滞在歴もあるアラブ映画研究の佐野光子さんなど常連陣の語りと執筆もまた、毎年楽しみに待つファンの多い映画祭コンテンツへとこの10年で成長した。
映画祭と名づく上映企画の大半は5年と続かず、続いても公的機関がバックに付くものが殆どなのが現状だ。こうしたなか、一切の助成なしに独力で継続され、かつ界隈に一定の存在感を根づかせた例は他にない。イスラーム映画祭の達成はこの意味で、日本の映画業界全体にとって実は計り知れない。
この映画祭で出逢った作品を生涯のお気に入り映画のひとつに挙げる者は、筆者も含め少なくない。10年続く間には、この映画祭で興味をもった国へ初めて出かけた、観た作品の影響で大学の進路を決めたという人々も少なからずいるだろう。イスラーム映画祭の意義が正当に認識されるのは、間違いなくこれからだ。
(ライター 藤本徹)
「イスラーム映画祭10」
公式サイト:http://islamicff.com/
■東京・渋谷ユーロライブ 2月20日~24日
■ナゴヤキネマ・ノイ 未定
■神戸・元町映画館 5月3日~9日
【イスラーム映画祭 過去記事一覧】
【本稿筆者による上映作品関連ツイート】
『神に誓って』
父の策謀で英国からパキスタンへ誘拐、
僻村で強制結婚させられる従妹マリアム。9.11後の米国でCIAの拷問受ける音楽家兄、
狂信的宗教者に洗脳され音楽を捨てた弟。禁忌めぐり“南アジアのカラマーゾフ”ばりに熾烈な宗教問答交わされ、極上の混淆音楽が響き渡るキレッキレの名作。 pic.twitter.com/l3VO3jFCq8
— pherim|土岐小映⚓️ (@pherim) September 19, 2020
『オマールの壁』
イスラエルが築いたパレスチナ分離壁を越える青年。秘密警察は壁と共にあり、壁はただそこに建つだけなのに青年のすべてを支配し始める。幼馴染と恋人の裏切り、信念と暴虐、内通者の囁き、猫とパン。スタッフ全パレスチナ人の魂作。https://t.co/BcRbY54Kxs— pherim|土岐小映⚓️ (@pherim) April 26, 2016
『私の舌は回らない』上映後トークはドイツ映画研究の渋谷哲也さん。監督&主演セルピル・トゥルハンの来し方を、彼女の師匠筋でニュー・ジャーマンシネマ巨匠のルドルフ・トーメや、彼女が十代の頃出演した『赤と青』等のトーマス・アルスランまで遡り、2世の自我分裂を超えた移民映画の今を素敵解説。 pic.twitter.com/1aexdtcMvc
— pherim|土岐小映⚓️ (@pherim) April 2, 2018
『エグザイル 愛より強い旅』は2004年作、邦題『愛より強い旅』にて翌年🇯🇵公開。
トニー・ガトリフ監督が主人公らに託した複雑な背景、🇹🇷系🇩🇪人名匠ファティ・アキンの同年作『愛より強く』との影響関係など渋谷哲也Talkにて。ちな冒頭BGM歌手はRona Hartner(↑)と冊子にて。 https://t.co/Og0I4gVVdl pic.twitter.com/TUARNmFu64
— pherim|土岐小映⚓️ (@pherim) April 2, 2023
今年も強力すぎた佐野光子さんトーク。
“アラブ女性監督のパイオニアは、劇映画のトゥラートリと、ドキュメンタリーのジョスリン・サアブ”
“イスラーム映画祭は、私にとってのカルタゴ!”
(カルタゴまで行って観る類の作品が、ここには続々到来する) などパワーワード連発。https://t.co/E6WIQjARbE pic.twitter.com/SU6h0rtnms
— pherim|土岐小映⚓️ (@pherim) February 20, 2022
“私たちが書かない物語の運命がどうなってしまうか、あなた、分かっていて? それは敵のものになってしまうのよ。”
イブラーヒーム・ナスラッラー「アーミナの縁結び」(岡真理『アラブ、祈りとしての文学』みすず書房 所収) pic.twitter.com/TsJ4oonVWc
— pherim|土岐小映⚓️ (@pherim) March 16, 2020
『イスラーム映画祭8 アーカイブ2023』📙
恒例の映画祭に恒例のアーカイブ本、安定。
佐野光子/岡真理/渋谷哲也など常連執筆者も安定。
斟酌ない深さまで紙幅一杯に掘ってくれてます。一般書籍化されて然るべき充実ぶりですので、
いずくにか聡明な出版社のあらんことを。https://t.co/CnQjpcKx4H pic.twitter.com/bGea0XEq6n— pherim|土岐小映⚓️ (@pherim) May 3, 2023