神さまが共におられる神秘(80)稲川圭三

「神が共に」と祈っていれば、終わりの時を恐れる必要はない

2016年11月27日 待降節第1主日
(典礼歴A年に合わせ3年前の説教の再録)
目を覚ましていなさい
マタイ24:37~44

待降節第1主日を迎えています。教会の暦の新しい1年の始まりになります。典礼の色は紫色に変わりました。待降節とは、クリスマス、主の降誕を迎える準備の時になります。

今日の福音で、「人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである」と言われました(マタイ24:37)。「人の子」とは、世の終わりにすべての救いを完成してくださるため、もう一度来てくださるイエスさまのことですね。

その時は「ノアの時と同じ」といわれます。神さまに正しいと認められたノアは、神さまの命令に従って大きな船を造り、ノアとその家族、たくさんの動物がその中に入りました。40日40夜、雨が降り続け、水が地上を覆ってしまったので、箱舟に乗った者だけは生きたけれど、あとの者はさらわれてしまったという出来事です。「人の子が来る時もそのようなのだよ」とイエス様は言われます。

「そのとき、畑に二人の男がいれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。二人の女が臼(うす)をひいていれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。だから、目を覚ましていなさい」(40~42節)

「連れて行かれる」のと「残される」のと、どっちがいいか分かりますか。どうもここの表現では、「連れて行かれ」は、前の箇所の、一人残らず「取り去られる」という意味で使われているようです。

人間の目にはまったく同じに見える二人だけれど、一人は「取り去られ」、一人は「残される」とイエスさまは教えています。

でも、ノアの時と今は違います。なぜなら、今はすでにイエスさまが来られているからです。そして、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ28:20)という言葉を残し、その教えが全世界に宣べ伝えられてから、終わりである人の子が来る(同24:14参照)と言われています。

今日のイエスさまのメッセージは、後半のほうに3つの命令形で書かれています。「目を覚ましていなさい」(42節)、「わきまえていなさい」(43節)、「用意していなさい」(44節)。これは3つとも同じことです。神さまにつながって一緒に生きるっていうことです。「目を覚まし、わきまえ、用意して、一緒にいてくださる神さまと一緒に生きるんですよ」という呼びかけです。

イエスさまは「山上の説教」の結びで、今日の話と似た内容を、似たようなイメージで話しておられます。

「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。わたしのこれらの言葉を聞くだけで行わない者は皆、砂の上に家を建てた愚かな人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家に襲いかかると、倒れて、その倒れ方がひどかった」(同7:24~27)

この言葉を注意深く聞くと、気づくことがあります。それは、岩の上に立てた家も、砂の上に建てた家も、今は同じように建っているということです。でも、時が来ると、その違いが明らかになってしまう。「だから今日、イエスさまの言葉を聞いて行いなさい」というのが、イエスさまからのメッセージです。

イエスさまの教えは、そんなに複雑なことではありません。自分の中にも、人の中にも、永遠のいのちの尊い神さまが一緒にいてくださるということです。そのことを受け取って生きること。それがイエスさまの教えです。

「ふーん、そうなんだ」と聞くだけで、そのことを行わないと、砂の上に家を建てた人みたいになってしまう。聞いて、「そうなんだ、分かった」と行う人は、岩の上に家を建てた賢い人だって言われる。

イエスさまの言葉を聞いて行うとは、「私のような者の中にも神さまが一緒にいてくださるんだ。じゃあ、あなたの中にも神さまがいてくださる」。そう認めることが、「イエスさまの言葉を聞いて行う」ということだと思います。

いつもそうしていれば、「人の子が来る」という時を別に恐れる必要はないことになります。

今日、嫌いな人がいても、「神さまがあなたと共におられます」と祈るならば、イエスさまの言葉を聞いて、それを行う賢い人です。その人は、嵐になっても倒れません。

「目を覚ましていつも祈るように」とイエスさまがお教えになられました。ご一緒にお祈りをして過ごしたいと思います。

そして、私たちの周りには、「人間の中に神さまのいのちがあるなんて、聞いたこともない」という方がたくさんいらっしゃいます。そういう方々にお伝えしなければならないと思います。今日から始まった待降節の中で、呼びかけを受けていると思います。

稲川 圭三

稲川 圭三

稲川圭三(いながわ・けいぞう) 1959年、東京都江東区生まれ。千葉県習志野市で9年間、公立小学校の教員をする。97年、カトリック司祭に叙階。西千葉教会助任、青梅・あきる野教会主任兼任、八王子教会主任を経て、現在、麻布教会主任司祭。著書に『神さまからの贈りもの』『神様のみこころ』『365日全部が神さまの日』『イエスさまといつもいっしょ』『神父さまおしえて』(サンパウロ)『神さまが共にいてくださる神秘』『神さまのまなざしを生きる』『ただひとつの中心は神さま』(雑賀編集工房)。

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