飯謙氏、「聖書協会共同訳」について語る(7)

 

聖書事業懇談会が4月10日、大阪クリスチャンセンター(大阪市中央区)のOCCホールで開かれた。そこで、12月刊行予定の「聖書協会共同訳」についての講演を、翻訳者・編集委員である飯謙(いい・けん)氏(神戸女学院大学総合文化学科教授)が行った。その内容を連載でお届けする。

飯謙氏=2017年7月、広島での新翻訳聖書セミナーで

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(2)詩編の文脈――詩編8編を例に

従来、詩編は、一つ一つが独立した作品と考えられてきました。しかし、20世紀半ばに死海文書が発見されたことで、新たな認識が広がっています。死海文書には前2世紀から紀元1世紀の詩編写本が含まれています。

旧約聖書の詩編の書は、150の宗教詩からなる文書です。これを死海文書の詩編写本と比較すると、各作品の本文はほとんど同じですが、配列が異なる点が注目を集めました。たとえば、101編から102編、103編に続いて109編、次に118編が書かれているという具合です。

研究者の命名による「第11洞窟」で発見された詩編写本は、紀元前2世紀中頃のもので、詩編の書は当時はそのような配列順であったと推測されました。私たちが手にしている旧約聖書の詩編の書は、その後、現在のようなスタイルに整えられたと考えられたのです。

そこから、これまでアトランダムな蒐集(しゅうしゅう)体と考えられていた詩編の書が、かなり意図的な配列を施した連作的な編集体であるとの認識が生まれました。近年では、この観点から意味を発見する試みが続けられています。

この前提から詩編8編を考えたいと思います。詩編8編3節(口語訳は2節)は、「口語訳」と「新共同訳」で正反対の訳語になっていました。

口語訳
「あなたは敵と恨みを晴らす者とを静めるため、
あだに備えて、とりでを設けられました」

新共同訳
「あなたは刃向かう者に向かって砦を築き
報復する敵を絶ち滅ぼされます」

敵を「静める」(落ち着かせる)か、それとも「絶ち滅ぼす」か、ずいぶんと読み手を悩ませる訳語です。原語からの議論をしますと、どちらの訳も誤りではないと申せます。

この箇所は、「止める」という意味の動詞の使役形が置かれています。「反抗を止めさせる」、つまり「静める」とも、「存在そのものを止めさせる」、つまり「なくす」(=絶ち滅ぼす)とも解せます。実際にこれまで西欧での翻訳にも双方が見られました。

新たな立場から考えると、詩編8編の先行作品として文脈を形成する詩編3-7編が敵対者に言及し(3:2、4:2-3、5:9c-10、6:9、7:15-16a)、その絶滅を願っていること(3:8、5:5-7、6:11、7:10-17)がヒントを提供します。

詩編の作者にとって、生活の現実は敵への怒りに満ちていました。そのまま考えれば、詩編8編も「絶ち滅ぼす」がふさわしいと感じられます。

しかし詩編8編3節は(上には訳語を示しませんでしたが)、神が、それら敵対者とは対照的に、幼子や乳飲み子という非闘争的な存在によって賛美を受けると述べています。そこから、神がこの世界にわれわれ人間とは異なる観点から向かい合っているというメッセージを読み取れます。発想の逆転が提示されているのです。そこで翻訳では「鎮(しず)める」を採用することとしました。(続く

 






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