講演会「香港社会とキリスト教会」 明治学院大学キリスト教研究所

 

講演会「香港社会とキリスト教会」(明治学院大学キリスト教研究所アジア・キリスト教史研究プロジェクト主催)が2月17日、明治学院大学白金校舎(東京都港区)で開催された。

講師は、香港で生まれ育った台湾メソジスト神学研究院特約研究員の陳継賢(ちん・けいけん)さん。現在は、上海大学の博士課程でメソジスト教会史を研究し、同時に香港でキリスト教出版の編集にも携わっている。香港キリスト教メソジスト合同教会所属。

今回、建道神学院教授の陳智衡(ちん・ちこう)さんも講演することになっていたが、新型コロナ・ウイルスの影響を受けて来日できなかった。

陳継賢さん=17日、明治学院大学(東京都港区)

昨年から続いている香港民主化デモ(逃亡犯条例改正反対運動)のきっかけは、18年に発生した、政治とは無関係の殺害事件だった。台湾から逃亡した犯人が香港で逮捕されたが、台湾に引き渡すための条約がなかった。ただ、そのための改正案が成立した場合、香港と中国本土の間での犯罪人受け渡しも可能になるため、香港の自治を保証する「一国二制度」が揺らぐのではないかという恐れから、改正案に対する反対運動が勃発したのだ。

香港が英国から中国に返還されたのは1997年。それ以降、毎年のように社会運動やデモが行われているという。大規模なものでは、2003年の国家安全条例に反対する50万人デモ、06~07年のフェリーポートの歴史的建造物取り壊しへの反対運動、09年の高速鉄道反対運動、12年の国民教育科導入をめぐる抗議運動。14年に勃発した雨傘運動は世界的なニュースになった。しかし、今回のように200万人ものデモというは特別であり、「政府に抑圧を感じ続けてきた市民の不満が一挙に爆発した」と陳さんは話す。現在では75%の香港市民が、「自分は中国人ではなく香港人だ」という認識でいるという。

逃亡犯条例改正反対運動が掲げている政府への5つの要求は、独立した調査委員会の設置、普通選挙の実施、逃亡犯条例の全面撤回、暴動という定義の撤回、デモに参加して逮捕された人の釈放だ。陳さんは、「過激な行動に出た人たちの背景には、中国や香港政府から受けてきたさまざまなつらい体験があり、その心情や気持ちは理解できる」と胸中を語った。

陳さんが語る香港の実情に熱心に耳を傾ける参加者たち

続いて、社会運動や抗議活動に関わる教会の働きについても話した。

取り上げられたのはメソジスト連合教会香港堂。香港にキリスト教が伝道された初期に建てられた教会で、雨傘運動の時には休憩所として会堂が開放され、その後も社会問題に関する講座などを開いている。今回のデモでも教会を開放したところ、中国政府から「デモ隊を保護している場所」として目をつけられ、中国の共産主義青年団からは「香港堂は教会の役割を果たしていない」と非難を受けたという。しかし実際には、政治的な目的で教会を開放しているわけではなく、冬にはホームレスの人が寒さをしのげるよう、また鳥インフルエンザが流行った時には、警戒中の警察官が休憩できるよう、社会奉仕の目的だったと陳さんは説明する。

中国共産党によって中華人民共和国が建国された1949年以降、中国本土から香港にたくさんの移民がやって来たが、その時も英国と米国のメソジスト教会が共同して難民のためのウェスレー村をつくった。そこでは住居を用意しただけでなく、籠(かご)を編む技術なども教えていたという。また、教育にも力を入れ、そのため香港にはメソジスト教会が経営する数多くの中学校や小学校、幼稚園がある。

最後に陳さんは次のように講演を締めくくった。

「教会の働きは、宣教、教育、社会奉仕の3つ。逃亡犯条例反対運動をはじめ、社会で大きな事件があると、教会で議論し、声明を出したりしていますが、教会はただ突発的に意見を述べているのではなく、持続的に社会の事件に注目し、それについて意見を述べているのです。また教会では毎年、これまでの運動の被害者ための祈祷会も開いています」

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