今年「朝日がん大賞」を受賞したクリスチャン医師の樋野興夫(ひの・おきお)氏が16日、日本基督教団・横浜磯子教会で「がん哲学外来」の講演をした。同教会員だけでなく、がん患者やその家族など、約60人が耳を傾けた。
「がん哲学外来」は、2008年に同氏の勤務していた順天堂大学病院内で始まった。以来、その理念や活動に共感する人々が増え続け、日本全国で展開。また、お茶を飲みながら対話をする「メディカル・カフェ」も、教会や病院、市民活動などを通して浸透している。
同教会員の出口定男さんは一昨年、最愛の妻をがんで天に送った。その後、中村清牧師と一緒に数年がかりで「がん哲学外来」の準備を進めてきたという。
「医療者は次々とやって来る患者の一人ひとりにしっかりと向き合う時間は物理的に許されていない」と樋野氏は言う。レントゲン写真を見て、体内で何が起きているかを患者に説明する時間はあまりない。3分ほどで決断しなければならない時もある。
一方、患者や家族は、がんの診断を受けて初めて死を意識する。そして、「これから何をすべきか。どう生きるべきか」と考え、悩み始める。現在の医療では、そうした精神的苦痛やストレスまで軽減できないのが現状だ。
医療現場は病を治療することに専念しているが、患者と家族は不安と恐怖のただ中にいる。そのため、周りの友人や親類でさえ、腫(は)れ物に触るように接する場合が多いという。
そうした患者と医療現場の間を埋めるのが「がん哲学外来」だ。
「『がんは怖い病気』という時代から、医療が進んだ現在、発見の時期や部位によっては『治る病気』に変化してきている。
ひとくくりに『がん』といっても、その姿や形を実際に見ているのは、がん患者や家族だけ。教育現場にいる教師ですら見たことがない。教科書を開いてみても、がん細胞を見ることはない。私は、近隣の中高学生を呼んで、いろいろな種類のがんを見てもらっている。
誰しも苦しくつらい経験からは逃れたいと思うもの。しかし、病気は人生の夏休み。病気になっても、病人になってはならない。
『人生の目的は何か』ではなく、『何のために生まれてきたか』を考えるほうがいい。人と比べるのでなく、人にできることは人に任せ、自分にしかできないことができるようになれば、使命を全うできるのでないか。
『ハッピー』ではなく、『ジョイフル』を求める生き方をしてほしい。ハッピーとは表面的な幸せで、ジョイフルは心の中から湧き上がってくるもの。ジョイフルは寝たきりでも持てる。がん末期の人でも、非行に走った少年を立ち直らせることができる。それを見た周りの人もジョイフルを感じる。
皆さん一人ひとりの存在自体に価値がある。逆境も順境もない。決して『自分がいちばん苦しい』と思わないこと。人生は自分だけのプレゼント。『メディカル・カフェ』で、対話を通してこうした『言葉の処方箋』を相手に渡してほしい」
カトリック三浦海岸教会から講演を聞きに来たシスターは、次のように感想を話した。
「同じ修道会のシスターを天に送った経験がある。がん末期で、病院でも『手の施しようがない』と言われていた。どうしたらよいのか、何をしてあげたらよいのかと毎日祈りながらも迷う日々だった。私たちシスターも、生身の人間が目の前で苦しんでいるのを見ると狼狽(うろた)え、迷う。しかし、今日、樋野先生のお話を聞いてはっきり分かったのは、私たちがしてあげられることは、いつものようにゆっくりとお茶を飲みながら彼女の話を聞いてあげること。彼女にもっと話しかけてあげればよかった。いつも一緒にいたのに、孤独にさせてしまったのではないか。お茶を飲みながら話をすることは本当に大切。いつかカトリック教会でも『メディカル・カフェ』ができれば」
横浜磯子教会とカトリック三浦海岸教会を点と点で結び、この一帯を「メディカル・ビレッジ」のような地域にできればと希望は膨らむ。
次回の同教会での「メディカル・カフェ」は1月14日。詳しくは問い合わせを(045・751・5872)。