【Web連載】「14歳からのボンヘッファー 」(21) ボンヘッファーの結婚観 福島慎太郎

ボンヘッファーにはマリアという婚約者がいた。1943年1月に婚約したものの、3カ月後にボンヘッファーはユダヤ人の亡命を援助した罪で逮捕され、以後彼が処刑されるまでの約2年間ずっと獄中から彼女に手紙を送り続けていた。

この時のやり取りは、のちに『ボンヘッファー/マリーア:婚約者との往復書簡 1943−1945』(新教出版社、1996年)として出版されている。恋人同士の会話を世界中に発信してやるなよとも思うが、コンクリートの塀や国家の監視をも乗り越えた2人の愛からは学ぶことが多い。ちなみに賛美歌「善き力にわれ囲まれ」も元々はクリスマスのあいさつとして彼がマリアに書き送った詩である。

ボンヘッファーは結婚について非常に印象的な言葉を残している。

 結婚を支えるのはあなたがたの愛ではない。むしろこれからは結婚があなたがたの愛を支えるのだ。

結婚生活において2人を土台から支えるのは「愛」という感情ではなく、「結婚」という結びつきそのものだという。

「愛さえあれば何にも要らない」と思える経験が誰しも一度はある。デートのためなら何時間電車に揺られようが苦痛ではないし、顔を見るやまばたき一つですら美しすぎて胸が痛くなる時だってある(これ以上続けると気持ち悪くなるので止める)。

このような好意の感情は、生まれも育ちも違う2人を惹きつけ合うには欠かせないピースであり、多少度が過ぎているくらいでも健全である。

しかし、愛は時に武器となることだってある。ロックバンドUVERworldの「Ø CHOIR」という曲は見事にそれを言い表している。「愛が憎しみに変わっていくなら、僕を憎んだあの人は愛してくれた人かもな。人はしてもらえたことはすぐ忘れがち、してあげたことだけは忘れずに悲しくなり」

相手が自分の愛に応えてくれないという不満、思い通りの夫婦・カップル像から離れていくという苛立ち。どうしても「注いだ分、注ぎ返してほしい」という期待値や損得勘定は誰かといる限り芽生えてしまう。しかし、この見えざる感情に2人の土台を置けば、瞬く間に夫婦生活もカップルも吹き飛ぶ。なぜなら、人間は誰かの理想になれるほど高貴な存在ではないからだ。

先日、親友の結婚式に出席した時のこと。説教で牧師がこんな話をしていた。「聖書は〝忍ぶ〟という言葉は使っても〝我慢する〟とは言わない」。「〝我慢〟とは目的もなく自分のために何かを抑制すること。〝忍ぶ〟とは心に刀が突き刺される思いになっても、相手のためにそこへ立ち続けること」。これこそ結婚生活で2人に大切にしてほしいことだと言う。

聖書の「忍ぶ」をギリシャ語から直訳すると「後ろに留まる」だ。それは「誰か」を守るため「勇敢に耐える」ことを意味する。

人には、互いの個性を受け止め合うからこそ、生まれる調和がある。理解し合えない部分があるからこそ、理解できた時の喜びがある。

その時に2人は「忍ぶ」ことを学ぶ。そしてこれを可能とするのがまさに、「愛」という個人の感情ではなく「結婚」という共通の土台なのだ。だからボンヘッファーは〝愛から結婚〟ではなく〝結婚から愛〟を見つめるように言った。「2人で一緒に過ごす」とは「一つの人格として生きる」ことを意味するからだ。

獄中から丸2年、あなたは愛する人を想うことができるだろうか(別に獄中でなくていいが)。この時ボンヘッファーは「できる、できない」という感情ではなく、「結婚(婚約)」という関係性に目を留めていた。だから彼は忍ぶことができたのだろう。

2人で歩くうちに気づかされる罪や欠けがある、忍ぶことで生まれる苦しみがある。実はこれこそが結婚した者にしか与えられない特別な経験であり、それらを通してこそ2人は真に愛へ生きる者へと変えられていくだろう。

あなたに今、愛する人がいるならば「忍ぶ」ことから関係性を捉え直してみよう。あなたに今、愛したい人がいるならば「結婚」の意味について改めて考えてみよう。すべての人のために祈っている。

ちなみに私は独身です。

引用

・Dietrich Bonhoeffer, 拙訳 “Widerstand und Ergebung” (Evangelische Verlagsansta, 2017)(日本語では『抵抗と信従』や『獄中書簡集』といったタイトルで出版されています)
・TAKUYA∞作詞、TAKUYA∞・彰作曲『Ø CHOIR』(アルバム「Ø CHOIR」収録、UVERworld、2014年、gr8!records)

 ふくしま・しんたろう 牧師を志す伝道師。大阪生まれ。研究テーマはボンヘッファーで、2020年に「D・ボンヘッファーによる『服従』思想について––その起点と神学をめぐって」で優秀卒業研究賞。またこれまで屋外学童や刑務所クリスマス礼拝などの運営に携わる。同志社大学神学部で学んだ弟とともに、教団・教派の垣根を超えたエキュメニカル運動と社会で生きづらさを覚える人たちへの支援について日夜議論している。将来の夢は学童期の子どもたちへの支援と、ドイツの教会での牧師。趣味はヴァイオリン演奏とアイドル(つばきファクトリー)の応援。

【Web連載】「14歳からのボンヘッファー 」(20) 神が我々に抗議する――宗教改革記念日を覚えて 福島慎太郎 2024年10月30日

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