教皇フランシスコを偲ぶ シスター弘田しずえ「革命的な変革もたらす土台築く」 石田美菜子「世界中の誰より平和望む」

教皇フランシスコの葬儀ミサは4月26日午前10時(日本時間同日午後5時)、サンピエトロ広場でささげられた。新教皇を選出するコンクラーベは5月7日に開始される。

国内外の主要関係諸機関などが追悼のコメントを発表。教皇の残した功績について、2氏にコメントを寄せてもらった。

■ 教皇フランシスコの軌跡

シスター弘田しずえ(日本カトリック正義と平和協議会専門委員、ベリス・メルセス宣教修道女会会員)

2013年3月に選出された教皇フランシスコは、南半球からの最初の教皇、また歴史上初めてのイエズス会士であり、21世紀のカトリック教会に革命的な変革をもたらす土台を築いた教皇として、特に教会の社会教説を再活性化し、教皇職のあり方をラディカルに変え、慣習や伝統を革新した存在として、今後長く引用され、議論され、記憶に残るでしょう。

教皇職を変革するフランスシスコの12年間のリーダーシップによって、教会は、イエスの福音に根ざして、より慈愛に満ち、包摂的、裁かず、赦し、歓迎し、貧しい人々を優先し、傷ついた人々のための野戦病院となり、共通の家である地球をケアする人間の集まりになろうとする一歩を踏み出すことができたと思います。

大地の叫びと貧しい人びとの叫びを聴くという訴えは、現代世界の問題を宇宙的なレベルで捉え、すべての善意の人々との協働を促しています。核兵器の廃絶、死刑制度の廃止、対外債務の帳消し、戦争と紛争の対話による解決などについて、特に政治的指導者たちに非暴力の文化、政策を訴え続けました。

復活の日曜日に、広場を見下ろすバルコニーから、「愛は憎しみに、光は闇に、真実は虚偽に打ち勝ちました。イースターの光は、私たちを分断する障壁を打ち破るように促しています。これらの障壁は、物理的なものだけでなく、政治的、経済的、そして精神的なものもあります。各国は、その資源を軍備増強ではなく、飢餓との闘い、開発への投資、そして『互いに思いやる』ことに活用するよう」呼びかけました。

教会のあり方を第二バチカン公会議のビジョンに重ね、具体化する重要な変革が、2021年からの「共に歩む教会――シノダリティ」として実現されています。司牧的・宣教的回心の歩みは、虐待、腐敗などの罪に傷ついている教会を根本的に刷新する極めて重要な営みで、フランシスコの軌跡としてこれからも続いていくでしょう。

■ 世界中の誰より平和望んだ教皇

石田美菜子(写真家、教皇フランシスコ訪日公式カメラマン)

数日間の長崎信徒取材から戻って最初に受けたのが「キリスト教カトリック教会のローマ教皇フランシスコが死去、88歳」という衝撃的なニュースでした。あの、やさしくユーモアに溢れた笑顔を私たちに見せてくださった大好きな教皇さまが、天に召されたのです。

2019年11月、教皇フランシスコが来日されると知って「写真家として必ず撮影するのだ」と、カトリック中央協議会公式カメラマンに名乗りを上げたのがフランシスコ教皇との思い出の始まりでした。世界トップクラスのセキュリティで制約が多く、のちに他のカメラマンたちからも現場での苦労話を聞くことになりました。雨の中で濡れながら何時間もご到着を待った人は結局機材が全滅したというし、私は緊迫の現場でイタリア人の側近広報とつたない交渉を余儀なくされました。それぞれに工夫を凝らした撮影でしたが、終わった後に残った温かい気持ち……これは世界中の誰より平和を望んだ教皇フランシスコにレンズを通して触れたからに間違いありません。

広島平和記念公園で行われた「平和のための集い」では交渉に成功してヴァチカンテレビのカメラと同列、フランシスコ教皇を間近で撮影することができました。会場中が教皇さまの大きなスカートの中に収まったようなオーラに包まれ、安心と祈りと感謝でいっぱいになりました。長崎の原爆被害者と遺族の方たちには近所のおじちゃんがするように、会場を後にする最後まで振り返り手を振って別れを惜しんでおられて、多くの被害者ご家族の方と同じように私も胸がいっぱいになりました。

訪日中、特に広島と長崎での発言は全世界が注目していました。広島ではスピーチの中で「核兵器は使うことも持つことも倫理に反する」と原爆に対するお立場を、世界唯一の被爆国で明確にされたことはとても意味深かったと思います。

フランシスコ教皇が、これからも天の神様のみもとで私たちの平和をお祈りくださいますように……心からの感謝を込めて。

教皇フランシスコが逝去 前日の復活祭ではメッセージも 2025年4月21日

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