キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。 (コリントの信徒への手紙二 5章17節)
天地を創造された時、神はこの宇宙に人間が住みやすい世界を準備し、最後に愛を込めて人間を創造したのである。神は聖なる人格である。神は人間を「神のかたち」に創造した。すなわち、人間が他者と交わり、愛の絆で結ばれるようにと創造したのである。神に愛され生かされているのに、神を崇めず、感謝もしないところに人間の罪がある。神は私たちが神と正しい関係を持つようにと、いろいろな方法で働きかけられる。神は私たちとの交わりを求められる方である。神はご自分のほうから人間との交わりを求めて、キリストによって和解の道を開かれた。すなわち、謙(へりくだ)って人となられた神の御子キリストが、私たちの罪の責任を引き受けることによって、神は私たちに罪の責任を問わないで、和解の子を差し伸べられた。
今日の聖句のように、私たちは神の和解の言葉を受け入れて、キリストと結ばれ、新しく創造されて、「神のかたち」を回復する。神の和解の光を浴びて、神を父と呼ぶ。そして、神に愛されていることを感謝して、神の愛に応えて生きるようになる。
キリストに結ばれて新しく創造されたキリスト者は、神を礼拝する者たちである。礼拝は神との交わりである。私たちは聖書を通して、また説教を通してイエス・キリストの言葉を聞く。主イエスはどんな生涯を送ったのかと、「肉に従って」(16節)知ろうとするのではない。生きておられる霊のキリストの言葉を聞き、キリストに心を向けて祈る。私たちの信仰にとって大切なのは、現在のキリストであって、過去のキリストではない。