ホワイトハウスでの福音派指導者との会合でトランプ米大統領は、「11月の米議会中間選挙で共和党が負ければ、保守的なクリスチャンは迫害にさらされることになり、一切を失いかねない」と警告した。
しかし、そもそも私たちが持っているものとは何だろうか。米国憲法修正第1項(信教や表現の自由など)を守る公務員や、信教の自由を守るべく奮闘するクリスチャン法律家はもちろんありがたい存在だ。
しかし、教会が福音を宣べ伝えるのは、行政や司法当局の都合に合わせてではなく、キリストを喜ばせるためだ。私たちはキリストの教えを決めるのではなく、それを人に伝えるのだ。クリスチャンが「一切を失う時」とは、私たちが偽の福音を語り始めた時にほかならない。「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか」(マタイ16:26)
自分が信じていると告白するものの対極に位置する「政治権力」をクリスチャンが信仰の対象としてしまうことは、重大な問題だ。福音派クリスチャンが、この世の君主とその国に信仰を置くのか、キリストと神の国に置くのか。これこそ、私たちが一切を失うかどうかを決定する一線なのだ。これは11月の中間選挙だけではなく、あらゆる選挙について言える。教会が何らかの政治的支持を受けることを求めるなら、「神の国も、米国選挙民の単なる一集団にすぎない」と世に伝えているのと同じことなのだ。
リベラル、保守、カトリック、プロテスタントを問わず、キリスト教界は政治権力を求めてきたし、逆に政治権力に利用されてきた。これは、教会が神の国を現代国家と混同してしまう時、常に起こることだ。しかしイエスは、イスラエル神権国家を発足させるために来られたのではない。まして、どこかの国の建国の父となろうとしたのでもない。
イエスの時代にも、弟子のヤコブとヨハネは、自分たちを歓迎しなかった村人に主の裁きを求めたが、「イエスは振り向いて二人を戒められた」(ルカ9:55)。イエスは選挙マスコットではない。世の救い主なのだ。イエスが来られたのは、イエスを信じる者たちが罪赦(ゆる)され、永遠の命を与えられて新しい命に生きることができるよう、ご自身の命を捨て、再びよみがえられるためだった。
ピラトに尋問されたイエスは、「自分は、ローマ総督の想像の域を超えた偉大な王座を受け継ぐ王だ」と告げた。「わたしの国は、この世には属していない。もし、わたしの国がこの世に属していれば、わたしがユダヤ人に引き渡されないように、部下が戦ったことだろう。しかし、実際、わたしの国はこの世には属していない」(ヨハネ18:36)
そう、イエスは世に、世のために来られたが、世から来られた方ではない。だから、ピラトにはイエスの運命を決めることはできない。「だれもわたしから命を奪い取ることはできない。わたしは自分でそれを捨てる。わたしは命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる」(ヨハネ10:18)
イエスはエルサレムの神殿の崩壊と、その後に続く迫害と御国の拡大を預言した。「クリスチャンに対する迫害」というなら、初代教会の迫害を忘れてはならない。それでもなお新約聖書は、キリストが今も教会を建て上げておられることを信じて敵のために祈ることを私たちに命じている。イエスの弟子に連なると称する私たちは、不安を煽(あお)る脅しに屈する必要はない。イエスは弟子たちにこう言われたからだ。「小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる」(ルカ12:32)
ただしこれは、自分の国の状況に無関心であってよいということではない。クリスチャンの究極の市民権は天にある(「わたしたちの本国は天にあります」フィリピ3:20)が、いま暮らしている国での市民としての責任を果たさないでよいとは、新約聖書のどこにも書いていない。
しかし私たちの多くは、信教の自由を求めるだけにとどまらず、社会で尊敬を受け、承認されることに汲々(きゅうきゅう)とし、さらには権力まで得ようとあくせくしているようだ。そのため、こうしたものと引き換えに、福音はクリスチャン・ナショナリズムと混同されてしまう。
今日この世にクリスチャン国家があるとするならば、それは、「あらゆる種族と言葉の違う民」(黙示録5:9)が集う、王自らがご自身の国と呼ぶ国だろう。イエスは「大宣教命令」(マタイ28:19~20)によって、人々を(市民ではなく)弟子とする権威、そして(政治的意見ではなく)福音を宣べ伝える権威を教会に与えた。教会には、(国家や政党の名によってではなく)父と子と聖霊の名によって人々に洗礼を授ける権威も与えられた。そしてイエスは、(私たちの個人的あるいは政治的な優先事項ではなく)イエスが命じたことをすべて守るようにと命じた。そして、イエスが私たちと共にいてくださるという事実を世が奪うことはできないと約束されたのだ。
「11月の選挙の結果いかんで、福音派クリスチャンは一切を失いかねない」などという嘘(うそ)を信じる者は、ましてそれを宣べ伝える者は、詩編の作者の警告を忘れている。「君侯に依り頼んではならない。人間には救う力はない」(詩編146:3)
2018年8月31日 マイケル・ホートン
寄稿者のマイケル・ホートンは、ウェストミンスター神学校教授(組織神学、キリスト教弁証学)。ウェブサイト「コア・クリスチャニティー」回答者。
本記事は「クリスチャニティー・トゥデイ」(米国)より翻訳、転載しました。