今回はクリスマスの思い出を書いてみようと思います。
もともとクリスチャンじゃなかった僕でも、クリスマスにはいいイメージしかありませんでした。子供の頃、実家で両親と住んでいるときには、クリスマス前になると地元のスーパーの玩具屋さんのデカデカとした広告が新聞に挟まれていて、それを見ながら親を通してプレゼントをサンタさんにリクエストできる制度がうちにはありました。大人のようにお金を自由に使えない子供にとって「この日ばかりは欲しいものを何でも買ってもらえる」というクリスマスシーズンは夢のような時間だったなあ。
そしてクリスマスイブの夜には家族でご馳走を食べる。うちの場合、ある時からキャベツを丸ごとアルミホイルで包んで、それにチーズとかソーセージとかを串刺しにして、キラキラキャベツをまるでミラーボールのように見立ててパーティー感を演出していたような・・・。その頃の僕はキャベツの千切りにウスターソースをかけてムシャムシャ食べるのが大好きで、クリスマスなにが食べたい?ときかれて、迷わず「キャベツ!」と言ってましたね。
中高生になると、ラジオっ子だった僕はステレオから流れるクリスマスナンバーをききながら、今年もクリスマスかあ、なんて想いにふけったり。でもラジオから流れるクリスマスソングは男女の恋愛を歌ったものがほとんどで、クリスマスソングのヘビーローテーションもクリスマスイブイブあたりが最高潮で、肝心のクリスマス当日にはほとんどクリスマスソングは流れなくなってたような記憶があります。
まあ普通に家がクリスチャンホームでもなく、この日本で過ごすクリスマスはそんな感じで、「温かさ」や「楽しさ」は感じるものの、クリスマスそのものの意味や、クリスマスの主人公であるジーザスのことを考えることは、ほとんどなかったですね。
そんな僕が東京に出てきてクリスチャンになってから迎えるクリスマスは当然変わりました。クリスマスは僕ら人間を救うために、神である方が神であることを捨てて、この世に赤ちゃんとして来てくれた特別な日であり、 その救い主の誕生をお祝いすることがクリスマスを過ごす意味になりました。一言でいうならば、クリスマスの主人公がサンタやプレゼントからジーザスに変わったってことかな! クリスマスツリーの一番上にある星がジーザスで、その下の電飾がチカチカしてるのは、僕らの貧しい心に光として来てくれたイエス様が照らしてくれているから。クリスチャンじゃなかった時代からクリスマスに温かさを感じでいたのだけは、感覚的に間違ってなかったなあって思います。
この世を照らすまことの光 暗闇にくだり この目を開いてくれた 十字架を示し 膝をかがめ救い主をこころから崇めよう 素晴らしい主 あなたひとりだけが私の神
全然クリスマスソングじゃないけど、この賛美歌がいまの僕にとってのクリスマスソングかな。
人生はまさにGOD ONLY KNOWS!
この続きはまた次回のコラムで。 ☆chiyo☆