隔週でコラムを担当してます、ロックバンド/サルーキ=のボーカルchiyoです!このコラムでは僕が約20年前に上京してからの歴史を振り返っていますが、前回はライブハウスで彼女と出会い、その出会いがきっかけで、はじめてキリスト教会の礼拝に参加することになった話を今回は披露しますね。
人生ではじめて門をくぐったキリスト教会。 牧師の話がむずかしくて意味がわからないのと、今思えば「宗教」というものに疑念を抱いていた僕の心が真っ直ぐにその話を聴けなかったのもあるかもしれませんが、礼拝に出た帰り道は決まっていつも彼女を質問攻めにしたりしていました。 だけど彼女の答はいつもアッサリしたもので「質問は牧師にして」。
そんな僕にとって、はじめて心に引っかかったのは教会の壁に大きな字で書いてあった「神は愛なり」という御言葉でした。ロックンロールの「ラブ&ピース」の価値観で育ってきた僕には、神様といわれても分からないけど、神様が愛だったらいいなと単純に思えたのです。
彼女にしてみても、まだ東京に出てきたばかりで通う教会を決めていなかったため、僕らは日曜日ごとに色んな教会の礼拝に出ていました。相変わらず僕の態度は、今日の教会の牧師はどうこうだったとか批評めいている感じでしたが、 ある日行った教会の牧師さんは元アパレル屋さんで、その時代は結構悪さをしていたんだけど、あるときボブ・マーリーのレゲエを聴きながらイエス・キリストの愛がわかったんだという話をしてくれて、「え?そんなんでもいいの?」とずいぶん僕のキリスト教に対するハードルを下げてくれたものです。
いよいよ彼女の実家に初めて遊びに行った日。 お母さんをはじめ、家族が温かく僕を受け入れてくれて、「サザエさんみたいな家族がほんとにいるんだなあ」なんて感じてましたが、翌日の日曜日、自然な流れで礼拝に出て、牧師であるお父さんのメッセージを聞くことになりました。そのとき語られた御言葉は 「最後まで残るものが三つある。それは信仰と希望と愛だ」というものでした。 うーん、なるほど。僕が大学を辞めるときに考えた人生で大切にしたい三つのものは「音楽、お金、安定」だったなあ、なんて思いながら、やはり聖書はそれらしいことを言うなーと、感慨深く聞いていました。メッセージは「ではこの中で最も優れているのは…」と続きました。僕は頭の中でとっさに「宗教だからきっと信仰が一番と言うに違いない」と予測変換していました。しかし続きは違ったのです。「この中で最も優れているものは愛です」。心に来るものがありました。
自分は夢を追いかけて東京という荒野で孤独に戦う中で、世間を疑い、人を疑い、真実と言われるものを疑ってきたのです。それは自分の力で自分を守らなくては、この荒野で生き残れないと思っていたから。しかし、その頑(かたく)なに閉ざしていた心を、彼女や彼女を通して出会った友達や家族が与えてくれた優しさや安心感を通して、僕の心は温められ、柔らかくされていきました。そして聖書は「最も優れているものは愛です」と僕にはっきり語りました。キリスト教、これは宗教じゃなくて真実かもしれない・・・
礼拝の終わりに、みんな目を閉じて、今日神様を心に受け入れてみようと思った人は手をあげてください、という牧師からの招きの時間がありました。 心を動かされていた僕はよっぽど手を上げようかと思いましたが、そのときは勇気がなくて出来ませんでした。
だけど、この日のことが僕の中で神様との関係を変える、決定的な日になったのです。人生はまさにGOD ONLY KNOWS!
この続きはまた次回のコラムで。
☆chiyo☆