「新約聖書に出てくる女性たち,ぜんぜん映えないけど超エモくてwwwwwタピりながらマジ語ろ~!(おじさんには,なんのことだか,ぜんぜんわからないけどね!! σ^_^;)」と書かれた帯紙。さぞ、流行(はや)りのJK語満載の説教集なのかと思いきや、その語り口はいたって真面目。でも本書は、それだけで終わらせないある「仕掛け」が用意されているのだ。
著者の久野牧(ひさの・のぞむ)さんは、1941年生まれ。日本キリスト教会牧師で、犬塚伝道教会・八女伝道所(福岡市)、徳島教会(徳島県徳島市)、札幌北一条教会(札幌市)を経て、2006年から函館相生教会(北海道函館市)で牧師を務め、今年3月に現役を退いた。著書には、『講解説教ピリピ人への手紙』をはじめとする講解説教のほか、求道者や信仰に入って間もない人たちのための『キリスト教信仰Q&A』『教会生活の道案内』などがある。
本書の「JK」は、狭い意味では著者が牧会する函館相生教会の近くにあるミッション・スクール、遺愛学院女子中学・高校の生徒たちのことで、ここに収められた説教は、夏の課題を果たすために主日礼拝に出席する彼女ら(特に高校生)に向けて語られたものである。生徒たちに、聖書に登場する女性を身近に感じてほしいとの思いから、「新約聖書に登場する女性たち」を主題とし、「いやされた女性たち」「イエスさまに仕えた女性たち」「赦(ゆる)された女性たち」「たとえのなかの女性たち」の四つのテーマに分け、16の説教が収録されている。
ある「仕掛け」とは、それぞれの説教の終わりに、その「お堅い」語り口とはミスマッチな「Q&A」と「つぶやき」がSNS風のイメージ画で挿入されていることだ。ユーザーネームは「JKちゃん」。「霊的な苦しみってなあに?」とか「神様はわたしが求める前から救ってくださるんだね。じゃあ、信仰いらなくない??」とか「新しい命ってなあに?死んだらオワリじゃあないの?」など、キリスト教の核心を容赦なく突いてくる。対する説教者は懸命に答えるのだが、「う~ん、わかんない(笑)」となかなか手ごわい。
本書の出版元である編集者が、JK世代の娘さんと一緒に工夫して挿入したのだという。久野さんはこれらについて、「固いわたしのあたまからは出てくることのないものです」(139ページ)と語っているのが面白い。しかし、そこには「今あなたにわかるまいが、後で、わかるようになる」(ヨハネ13:7)の出来事が彼女たちに起こり、この説教が身近のものになるよう願いを込められている。
本書では、マグダラのマリア、サマリアの女性、マルタとマリアの姉妹など聖書でおなじみの女性だけでなく、十二人の弟子の母親、やもめなど名前のない女性がさまざま登場する。彼女たちをとおして、キリスト教の考え方や、信仰に大切なことが語られていくのだが、信仰をまだ持たない「JK」たちには、今をよく生きるこための知恵とも言えるものばかりだ。
たとえば、安息日にいやされた女性やイエス様に高価な香油を注ぐを女性の行為から、「今できることを今しなければいけない。先送りしてはならない」ということ述べられたり、サマリアの女性の話からは、「出会い」ということに触れ、出会いの大切さを次のように話す。
「『出会い』というのは、単に顔と顔を見合わせるということではありません。閉じられた自分の世界、自分にはこれしかできないと思い込んできた生き方、そこから一歩踏み出して、相手の世界でその人と向き合うことです。……今までの自分の生活に閉じこもったままでは出会いは起こりません。他者からの呼びかけに応える時に起こる命のふれあい、それが出会いです」(102ページ)
そうした出会いは、生きることの意味と喜びを新たに発見させられるとし、究極の出会いは、イエス・キリストだという。この話にJKちゃんがどんなつぶやきをしているのだろうか。ぜひ、本書で確認してみてほしい。
久野牧『JKに語る!新約聖書の女性たち』
2020年4月8日初版発行
一麦出版社
1600円(税別)