今日8月21日は献血の日。1964年のこの日、それまでの売血制度をやめ、すべての輸血用血液を献血によって確保する体制を確立すると閣議決定されました。献血による輸血用血液は63年には2%程度でしたが、その後10年間で国内自給を達成しました(100%献血による)。
当時、金銭を得るために献血を繰り返す人たちの血液は「黄色い血」と呼ばれていました。血球が少なく、血漿部分が目立つためです。こうした血液で輸血しても効果がなく、また肝炎の感染も多く、血液提供者の健康にも悪影響を及ぼすために社会問題となり、全国の学生が「黄色い血」の追放運動を展開していたのです。
キリスト教では異端とされている「エホバの証人」は、次の聖書箇所を根拠に輸血を受け入れません。「肉は命である血を含んだまま食べてはならない」(創世9:4)。「血を食べる者があるならば、わたしは血を食べる者にわたしの顔を向けて、民の中から必ず彼を断つ」(レビ17:10)。「いかなる生き物の血も、決して食べてはならない。すべての生き物の命は、その血だからである。それを食べる者は断たれる」(同14節)。「その血は断じて食べてはならない。血は命であり、命を肉と共に食べてはならないからである」(申命12:23)。「偶像に献げられたものと、血と、絞め殺した動物の肉と、みだらな行いとを避けることです」(使徒15:29)。
エホバの証人は、これらの聖句から次のように主張します。「血を取り入れることを避けるのは、神の命令に従いたいからというだけでなく、命を与えてくださった神に敬意を払いたいからでもあるのです」(エホバの証人についてよくある質問)
しかし1985年には、交通事故に遭った子どもの輸血をエホバの証人の両親が拒否して子どもが死亡する事件が起こるなど、社会問題にもなっています。大泉実成『説得──エホバの証人と輸血拒否事件』(現代書館)や、それを原作とした北野武主演のテレビドラマ(93年)などもあって、「宗教は怖い」と多くの人に思われています。
ただ、先の聖書箇所を読んでも分かるように、これは旧約時代のユダヤの食物規定であり、新約時代には「食べ物のために神の働きを無にしてはなりません」(ローマ14:20)といわれています。また、本家本元であるユダヤ教でも輸血拒否のような理解をしておらず、これはあくまでもエホバの証人独自の解釈なのです。
エホバの証人は血液製剤の使用も認めていませんでしたが、2000年に方針変更しました。機関誌「ものみの塔」(2000年6月15日号)で、「血液製剤は全血ではないのだから受け入れてもいいのでは」という疑問に対して、「はっきりとは答えられません。聖書には詳細が記されていないので、神の御前で自分の良心に従って決定しなければなりません」と答えています(ネットメディア「VICE」)。