4月7日は「ヨハネ受難曲」の初演日

 

今日4月7日は、バッハが「ヨハネ受難曲」を初演した日です。1724年、39歳になったばかりのバッハが、宮廷楽長をしていたケーテンから70キロほど南にあるライプツィヒに移り、聖トーマス教会のカントル (教会音楽の指導者)として着任して初めて迎える聖金曜日(キリストが十字架につけられた日)でした。

ライプツィヒの聖トーマス教会(写真:Frank Vincentz)

聖週間(イースターの前の1週間)の典礼では、イエスの受難を追体験するため、早い時期から受難物語の朗唱が行われていました。現在もカトリックなどでは聖金曜日、司祭と朗読者と会衆が受難の場面を読み交わす朗読劇のようなかたちでヨハネ福音書18〜19章が読まれます。当時、カトリックが世俗的な音楽を排除しようとしたのに対して、ルター派は寛容だったため、16〜17世紀、集中的に受難曲が作曲され、やがて合唱や管弦楽を伴うオラトリオ受難曲の頂点としてバッハの受難曲が誕生しました。

雑賀 信行

雑賀 信行

カトリック八王子教会(東京都八王子市)会員。日本同盟基督教団・西大寺キリスト教会(岡山市)で受洗。1965年、兵庫県生まれ。関西学院大学社会学部卒業。90年代、いのちのことば社で「いのちのことば」「百万人の福音」の編集責任者を務め、新教出版社を経て、雜賀編集工房として独立。

この記事もおすすめ