今日4月7日は、バッハが「ヨハネ受難曲」を初演した日です。1724年、39歳になったばかりのバッハが、宮廷楽長をしていたケーテンから70キロほど南にあるライプツィヒに移り、聖トーマス教会のカントル (教会音楽の指導者)として着任して初めて迎える聖金曜日(キリストが十字架につけられた日)でした。
聖週間(イースターの前の1週間)の典礼では、イエスの受難を追体験するため、早い時期から受難物語の朗唱が行われていました。現在もカトリックなどでは聖金曜日、司祭と朗読者と会衆が受難の場面を読み交わす朗読劇のようなかたちでヨハネ福音書18〜19章が読まれます。当時、カトリックが世俗的な音楽を排除しようとしたのに対して、ルター派は寛容だったため、16〜17世紀、集中的に受難曲が作曲され、やがて合唱や管弦楽を伴うオラトリオ受難曲の頂点としてバッハの受難曲が誕生しました。