【聖書の不思議あれこれ!】聖書はヤバい? 歴史的「差別」を助長してないか?(後編) パダワン青木

前回のコラムに対し、「で、どうなるんですか?」とか、「結論を早く教えてください」という声がちらほら。ありがとうございます。拙文を楽しみにして下さっている方がおられるということに感謝します。今回とりあげたテーマは、キリスト教界でもかなり以前から議論され、かつ決定的な答えが出ていないものばかりです。だからこそ、慎重かつ大胆な回答が求められているのでしょうね。

まずはおさらいから。聖書の中に、奴隷制度擁護ともとれる箇所が散見することについて、これをどう考えたらいいか、と言うのがひとつ。さらに、明らかに「男尊女卑」的なメッセージが使徒パウロから語られていることについて、これでいいのか、という点がもう一つの課題です。一つ一つ、というよりも、両課題に共通していることがあるため、そこからひもといていきましょう。

ノックスの十戒

皆さんは、「ノックスの十戒」というものをご存知ですか?いえ、「モーセの十戒」ではありません。それは聖書のお話であって、今取り挙げているのは、推理小説界では定番中の定番と呼ばれる「ノックスの十戒」の話です。

これは、1928年にロナルド・ノックスという推理作家にして聖公会司祭(後にカトリックへ改宗)であった人物が提唱した概念です。推理小説を書く時、彼は10の基本的ルールを提唱しました。以下がその日本訳です。

①犯人は、物語の当初に登場していなければならない
②探偵方法に、超自然能力を用いてはならない
③犯行現場に、秘密の抜け穴・通路が二つ以上あってはならない。
④未発見の毒薬、難解な科学的説明を要する機械を犯行に用いてはならない
⑤中国人を登場させてはならない。
⑥探偵は、偶然や第六感によって事件を解決してはならない
⑦変装して登場人物を騙(だま)す場合を除き、探偵自身が犯人であってはならない
⑧探偵は、読者に提示していない手がかりによって解決してはならない
⑨探偵助手役は、自分の判断を全て読者に知らせねばならない
⑩双子・一人二役は、予(あらかじ)め読者に知らされなければならない

一読して分かるように、これは理性と事実の積み上げによって事件を解決する、という推理小説(当時は探偵小説)のフェア精神を表したものです。つまり、著者は読み手にフェアプレイ精神で接することを義務付けているとも言えましょう。「本格推理物」と呼ばれる分野は、この「ノックスの十戒」に基づいて今でも手の込んだ作品が生み出されてきています。

その中の5番目に注目して下さい。「⑤中国人を登場させてはならない。」これはどういう意味だと思いますか?人種差別でしょうか?いえいえ、1920年代当時、西洋社会においてアジア人(ここでは中国人に代表されている)は、自分たちのあずかり知らぬ魔力やオカルト的な力を自在に操ることができると信じられていたのです。だから、超自然的な力で事件を引き起こした、という結末では、フェアではないと見なされていたのです。

この「ノックスの十戒」、現代を生きる私たちの視点からみるなら、この5番目の項目は不適切です。しかし「ノックスの十戒」の権威は今なお保たれています。なぜでしょうか?それは、事の本質が「中国人を登場させるかどうか」ではなく、「超常現象を操る人物は推理小説には不適切」ということが皆に理解されているため、当時の先進性を示す表現(中国人を登場させてはいけない)をそのまま残し、事の本質を抽出することにしたのです。

「聖書」は古くて新しい?

長い前振りでした。聖書という書物も、この時間と空間の中に存在する以上、文字情報は当時の世相や文化を反映したものとなります。それはすなわち「古くなる」ということです。当時の社会に「奴隷制度」というものが必然的に存在しており、その制度を前提としながら人々は活動する社会を形成していました。「男性優位社会」も同じくです。そしてパウロが言いたかったのは、自分が想定できるあらゆる階層、あらゆる人種、すべての民族が、「神から与えられる知恵」を重んじるべきである、ということでした。しかし知恵を適用すべき社会のルールは、時代とともに変化していきます。イエス様はまさにその変化の先駆者でした。変わらないことがあるとするなら、それは「移ろいゆく世界」であるという動的形態のみです。

聖書は、ひと時も止まることのないこの世界の中で生きる私たちに対し、各々の時代、状況に応じて、文字情報という限定的な方法で伝えられる「神からの知恵」を敏感にキャッチし、それを自身の生き方、時代に適応せよ、ということなのです。そういった意味で、「古くて新しい書」と言えるでしょう。(お、きれいにまとまったかな?)


おそらくパウロの時代、教会の中に、現代で言うところの「口うるさい○○のおばちゃん」みたいな人が、結構幅を利かせていたのでしょう。人のうわさ話や、あることないこと、強力なインフルエンサー能力を駆使して、人びとに悪影響を与えていたのでしょう。そのうわさが教会の健全なあり方を阻害する現実があったのでしょう。だから「もし何かを知りたければ、家で自分の夫に尋ねなさい。教会で語ることは、女の人にとって恥ずかしいことなのです。」と言わざるを得なかったのです。この言葉だけを文脈や当時の状況から切り離し、金科玉条のように奉っているわけではないのです。

そういった意味では、聖書と言う書物はとても奥深いものです。どこまで行っても私たちがこの書物を追い越せる日は来ないでしょう。かつて語られた「人が生きるために必要な知恵」を、現代の高度情報化社会の中に読み手自身が適用させることができるのですから。

「ノックスの十戒」が推理小説界に今なお大きな影響を与え、指針となっているように、聖書は私たち現代人の生き方、考え方、社会の指針を滋味豊かに与えてくれるものなのです。

 

パダワン青木

パダワン青木

青木保憲(あおき・やすのり) 1968年愛知県生まれ。 愛知教育大学大学院を卒業後、小学校教員を経て牧師を志し、アンデレ宣教神学院へ進む。その後、京都大学教育学研究科卒(修士)、同志社大学大学院神学研究科卒(神学博士、2011年)。グレース宣教会牧師、同志社大学嘱託講師。東日本大震災の復興を願って来日するナッシュビルのクライストチャーチ・クワイアと交流を深める。映画と教会での説教をこよなく愛する。聖書と「スターウォーズ」が座右の銘。いまだジェダイマスターになることを夢見るパダワン。一男二女の父。著書に『アメリカ福音派の歴史』(2012年、明石書店)。

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