盆暮れ正月は実家に、日曜日は教会に帰省する【聖書からよもやま話603】

主の御名をあがめます。
皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。

本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は新約聖書、ルカの福音書の11章です。よろしくどうぞ。

ルカの福音書 15章32節

だが、おまえの弟は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのは当然ではないか。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

ルカの福音書の15章は有名な『放蕩息子』の話が書いてある箇所です。金持ちに二人の息子がいて、弟は自分の相続分を先にもらって家を出て、そしてその財産を遊びに使い果たして帰ってきました。父はその弟を怒って追い出したり叱ったりするどころか、両手を上げて迎え入れて帰ってきたことを喜びました。

失ってみて初めてわかるありがたみ、なんてことはよく言われますよね。恋人と別れたあとで、その人の大切さが身に沁みてわかったとか。人間って誰しも、なくなったものが戻ってくると嬉しいものです。普段何気なく使っている千円札ですが、なくすととても悔しい思いをしますし、それがポケットから出てきたりするととても嬉しく思うものです。そしてその千円をいつも以上にありがたく思ったりします。健康もそうです。普段は当たり前のように健康を享受していても、いざそれが失われるととてもありがたく思いますし、回復すれば大いに喜びます。

神様にとって僕たち人間は「家出して放蕩している息子」のようなもの、即ち「失われたもの」なんです。だからこそ神様はずっと僕たちを探しているんです。誰だって、もともと自分のものでなかったものを必死で探すことはしません。(宝探しなんかは例外かもしれませんけれど)もともと自分のものであったからこそ、それが失われた時に必死で探します。つまり、僕たち人間はみんなもともと神様のものであったんです。しかしそれが今は家出して失われてしまっている。だから神様は探し、「いつでも帰っておいで」と言っているんです。

「いつでも帰っておいで」っていい言葉ですよね。帰る場所があるというのは幸せなことです。実家でそれを言われる人は多いかと思いますが、でも実家との関係がイマイチで、言われない方もいるかもしれません。でもそんな人にも帰る場所はちゃんとあります。それが教会です。教会というのは「行く」場所ではなく、「帰る」場所です。それもクリスチャンが帰る場所ではなく、あらゆる人が帰る場所です。神様が「いつでも帰っておいで」と言っているのはクリスチャンに対してだけではありません。この世界に生きるあらゆる人に「いつでも帰っておいで」と言っているんです。そして「どこにいるんだ?心配だぞ」と探しまくってくれているんです。そして聖書という手紙をずっと送り続けているんです。その「いつでも帰っておいで」と書いてある手紙を、読まずに捨てるのも人間ですし、読んで「帰ろうかな」と思うのも人間です。神様は強制はしません。でも帰れば必ず喜んでくれます。

年末年始に実家に帰省した方も多いと思います。盆暮れ正月は実家に帰省、日曜日は教会に帰省。帰る場所に帰ることは大切なことです。

それではまた次回。
主にありて。

MAROでした。

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横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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