主の御名をあがめます。
皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。
聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、エレミヤ書の26章です。よろしくどうぞ。
エレミヤ書 26章8〜9節
「あなたは必ず死ななければならない。なぜ、この宮がだれも住む者のいない廃墟となると、主の名によって預言したのか。」
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)
神様はあまりにも言うことを聞かないイスラエルの民に怒って、預言者エレミヤに「ちょっとイスラエルの民にこのまま言うことを聞かないと、この国も宮も滅びるよって言ってきて」と命じました。エレミヤは神様に言われたとおり、イスラエルの民に「このまま神様の言うことを聞かないと、この国も宮も滅びるよ」と伝えました。するとイスラエルの民はエレミヤを取り囲み「どうして君は神様の名で、この国も宮も滅びるなんてひどいことを言うんだ。捕まえて死刑にしてしまえ」と騒ぎ出しました。
エレミヤは神様に言われたことを伝えただけです。しかしイスラエルの民はエレミヤを憎んで殺そうとしたのでした。
古来から、敵対している国同士であっても、お互いの使者にだけは危害を加えてはいけないというルールがあります。このルールは「最も古い国際法」と言ってもいいかもしれません。使者というのは王様や指導者のメッセージを伝えるだけであり、彼らが運ぶメッセージ自体に責任は持ちません。電話で悪口を言っても電話局に罪はないとか、手紙で悪口を言っても郵便屋さんに罪はないとかと同じことです。そしてそんな使者に危害を加えるというのは「お前らの国と話すことは何もない!」という意味であり、それは即ち宣戦布告と同義ですし、すでに戦争中であれば「どちらかの国が滅びるまで絶対に戦い続ける」という宣言と同義です。古代ギリシアのスパルタという国は、ペルシア帝国からやってきた「降伏しませんか?」という使者を、問答無用に井戸に放り込んで殺してしまったそうですが、これはそのままスパルタのペルシアへの宣戦布告とされ、ペルシアはすぐさま大軍を率いてギリシアに攻め込みました。
預言者というのは、いわば神様から遣わされた使者です。エレミヤに「死ぬべきだ」なんて言ったイスラエルの民は、神様に宣戦布告をしたのと同じです。・・・とはいえ彼らにも言い分はあるでしょう。彼らはおそらくエレミヤを偽預言者だと思っていました。「神様が僕たちにこんな不都合なことを言うわけがない。だから君は偽物だ!」と、そんな思いだったのでしょう。
なんと愚かなイスラエルの人たち・・・と思いたくもなりますが、実は僕たちも現代において日常的に似たようなことをしています。たとえば「裁判所です」とか「警察署です」なんていう電話やメールが突然来た時、僕たちはまず詐欺を疑います。そして「どうせ詐欺だろ」とガチャンと電話を切ったり、メールを無視したりします。つまり「裁判所や警察署が僕たちにこんなことを言うわけがない。だから君は偽物だ!」と、イスラエルの民がエレミヤに下したのと同じ判断を、詐欺師に対してしているんです。
でももしそれが本当に裁判所や警察署からの連絡だったらどうでしょう。大変なことになるかもしれません。エレミヤの預言は「詐欺」と思われましたが実は本物で、この後イスラエルの民は大変な目にあいました。偽預言者や偽使者はこのように多くの人の信頼を破壊し、重大な損失をもたらすものです。
また「国際法」の話に戻りますが、この「偽使者」というのは、それだけで極刑に値する罪とされます。それは時には争いのない国に戦争を引き起こすような重大かつ悲惨な結果を招くものだからです。直接的に戦争までいかなくても、両国の信頼を破壊して緊張を引き起こしたりするかもしれません。いずれにせよ、国や国民にとって大きな損失を招くものです。だからこそこれは絶対にやってはいけないことなんです。つまり、詐欺師が「裁判所です」とか「警察署です」と使者になりすますことは、国と国民との間の信頼関係を破壊するものであり、時代によってはこれだけで一発死刑になるような罪だということです。それでイスラエルの民は「偽使者」と判断したエレミヤに「死刑だ」と叫んだわけです。
聖書を読んでいると「信じればいいのに、なんて愚かなことを・・・」なんて思ってしまいがちですが、こんな風に考えると「なるほど、神様に従うというのは意外と難しいことだな」と思わされたりもします。彼らがエレミヤを偽物と思った一因として、当時は実際に偽預言者がたくさんいたということもあるのでしょう。だからこそ彼らは「こいつも偽物だ」と思ったわけですし、僕たちだってたくさんの詐欺が実際に横行しているからこそ「裁判所」や「警察署」を簡単には信じなくなっています。つまり「詐欺」とか「偽預言者」といった罪が、僕たちと裁判所や、僕たちと神様の信頼関係を破壊してしまうわけです。
詐欺に限らず、現代でも神の名をかたって僕たちを騙そうとする偽預言者がたくさんいます。現代の方ではなかなか死刑にはならないでしょうが、本来はそれは死に値する罪だということを、詐欺師の方々にも偽預言者の方々にも、お伝えしたいと思います。
そして僕たちは残念ながら、悪い人がいなければ使わなくて済む労力を費やして、詐欺や偽預言者の手口について情報を集めて、偽物か本物かを見抜く眼力を養わなければいけません。本当に面倒ですし腹立たしくもありますが、これが「罪のある世界」に生きるということなのかもしれません。僕たちはこの世にある限り、常に誰かの罪のために本来なら負わずに済むはずの負担を負い続けているんです。
主にありて。
MAROでした。
【おねがい】
クリプレは皆様の献金により支えられています。皆様から月に300円の献金をいただければ、私たちはこの活動を守り、さらに大きく発展させてゆくことができます。日本の福音宣教のさらなる拡大のため、こちらのリンクからどうか皆様のご協力をお願いいたします。