昨年まで、北海道にある日本福音ルーテル恵み野教会=写真=と函館教会を兼務していました。現在は熊本市中央区というなかなかの都市部にある教会に遣わされていますので、本連載「地方からの挑戦」にはそぐわないかもしれません。しかし、地方から都市部に異動したからこそ地方にある教会の輪郭がよく見える部分もありましたので、その経験も踏まえながら、昨年までの教会の働きでの出来事を紹介していきたいと思います。
冒頭で「恵み野教会と函館教会」と平然と書きましたが、北海道をよく知る人は驚いたかと思います。この二つの教会は距離にして300キロほど離れていて、片道4時間弱を特急に揺られながら毎週往復していました。毎週小旅行に行くようなものです。地方、特に北海道の場合、小さな教会だと兼務しなければならないにもかかわらず、近くに同じ教派の教会がないためにこのような遠距離牧会が起こってしまうというのが現状です。私が在籍中にそのような兼任体制に変わっていったので、教会員も当初は不安を抱えていたと思います。一方で私はマイペースなので、割と楽しみながら過ごしていました。4時間弱の特急にもかかわらず寝過ごしてしまった時は、ずいぶんと慣れ親しんだのだと思ったものです。
地方にある教会は、財政・人材ともに厳しい状況に立たされ、兼任など体制が代わるたびにどこか暗さを引き起こしていきます。だからこそ私が常々述べたことは、「倒れるなら前向きに」でした。人が転ぶ時、後ろ向きに倒れてしまうと危ないように、教会も後ろを向いても良いことがありません。倒れるとしても前向きにいけるように、常に前を向いていきましょうと。それは若い世代だからこそ、大胆に言っていけることだと思います。
私たちの世代は過去の栄光を知りません。物心ついたころから、教勢は落ち続け、人材もいなくなり四苦八苦している。それが教会の姿でした。それでもみ言葉を信じ神に仕える働き手は、私のように、何だかんだ生まれていくのです。苦難にあっても信仰はちゃんと継承されていく。私は身をもってそう感じていますので、「前を向こう」と言えるのです。その元気を届けるのが私の役目でもあると感じていました。
その思いから常に、教会ではさまざまな「新しいこと」を始めていきました。詳しくは次回に書きますが、街の特色である「花」を用いた花の礼拝をしたり、教会を地域の人たちの発表の場にする「クリスマスフェスタ」を開いたり。教会は苦しい状況に立たされる時、以前できていたことができなくなります。しかしそれは、「新しいことができない」と同義ではありません。なくなったなら別の何かをすれば良い。その思いから常々、挑戦し続けました。
それで教勢が伸びたと言えればカッコいいのですが、そんなことはなく、在籍した7年間で洗礼者は3人(うち1人は息子)。一方で葬儀は8件ありました。おかげで葬儀のたびにあたふたすることは減りました。それが現状です。
そこで問われ続けたのは、その時に「いつも喜んでいなさい(テサロニケ一5:16)」と語られる主のみ言葉に耳を傾けることができるかでした。「前を向こう」と教会員に語り続けながら、それ以上に私自身に語り続けたように思います。そのたびに、み言葉がいつも私に「喜べる」ということを伝えてくれたのです。み言葉が私を喜ばせてくれる。その信仰こそが、地方で最も養われていったことだと思います。
なかじま・かずき 1990年北海道生まれ。東洋大学、日本ルーテル神学校卒業。日本福音ルーテル大江教会主任牧師。これまで恵み野教会(北海道恵庭市)主任牧師として7年、その間、札幌教会(札幌市)の協力牧師を6年、函館教会(函館市)主任牧師を1年兼任。