【映画評】 それぞれの「けもの」 『けものがいる』

主要な仕事をAIが担う2044年、ガブリエルは単純労働から抜け出すために「魂の浄化」を受ける。前世を追体験し、そこで負ったトラウマを克服するプロセスだ。1910年の彼女はピアニスト。夫がいる身だがルイという男性に惹かれる。2014年の彼女は俳優志望。同じルイにストーカー行為をされる。そこで気づくのは、2044年にもすでにルイと出会っている事実だ。愛憎入り混じった前世を共有する2人の関係は、どんな結末に至るのか。

『けものがいる』は生まれ変わりをテーマにしたSF映画。三つの時代を行き来する。どの時代にもガブリエルとルイが登場し、それぞれ違った境遇で違った出会い方をするが、同じようなシチュエーションや会話、モチーフ(人形や占いなど)が繰り返し現れる。2人を襲う悲劇も繰り返されるが、「魂の浄化」はそれを回避しようとする。ガブリエルがどの時代にも漠然と抱く破滅の予感は、その介入による促しか。あるいはその介入に抗いたい彼女の本能の叫びか。

人間と人形の関係も本作のテーマの一つだ。

人形は1910年当時は工場で職人たちによって作られる。玩具以外の使い道はない。しかし(2014年のお喋り人形を経て)2044年には高度に進化したAIロボットとなっており、人間をサポートするように見えて事実上支配している。AIにとって人間の感情は扱いづらい玩具のようなもので、不要でしかない。だから「魂の浄化」によって失わせようとする。それは結果的に人間を1910年当時のセルロイド人形に近づける行為であり、そうして人間と人形の立場は逆転する。このディストア的展開は、近年ますます私たちの生活に浸透し、もはや不可欠でさえあるAI技術への警鐘と見ることもできる。

©Carole Bethuel

ガブリエルの感情も同じような逆転を経験する。1910年では感情を抑えられないことが彼女を苦しめるが、2044年ではそれを失うことが彼女を苦しめる。ガブリエルとルイの関係も逆転する。1910年にはルイがガブリエルを求めるが、2044年にはガブリエルがルイを求める。2人はつながっているように見えて、いつもすれ違う。

タイトルの「けもの」とは何を指すのか。

ガブリエルとルイは互いにとって相手がそれかもしれない。どちらも結果的に破滅をもたらす存在だからだ。あるいは2044年のAIは人間にとって「けもの」のようだし、AIから見れば人間こそ御し難い「けもの」だろう。立場によって、そこにはそれぞれの「けもの」がいる。

エンドクレジットにある仕掛けが施されていて、最後まで気が抜けない。ベルトラン・ボネロ監督いわく、映画の感動に浸りたい視聴者からそれを奪う行為だ。そうしてガブリエルが感情を奪われる不安感、虚無感を私たちも追体験させられる。視聴者にとって監督が最大の「けもの」かもしれない。

(ライター 河島文成)

4月25日(金)ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次公開
配給:セテラ・インターナショナル

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