アメリカへ向けて行動あるのみ 【関野和寛のチャプレン奮闘記】第18回

日本の医療レベルはそれでも世界水準で高い方にある。しかし、看取りや患者の家族のケア、また日々燃え尽きそうな中で戦っている医療従事者たちの心のケアは、まったくと言っていいほど足りていない。そして、それを担っていくのが病院付聖職者、チャプレンだと私は信じている。そうした未来のために、私は牧師として、またチャプレンとして日本を変えたいと強く願うようになった。思うだけなら誰にでもできるが、道なき道を一歩踏み出さなくてはならない。

そう考えていた時のことだった。3年前、コロナ病棟で勤務していたミネソタの街にあるキリスト教会が、日本語と英語を話せる牧師を募集していることを知った。

気がつけば、2週間後には私はミネソタの地に立っていた。その教会も、コロナパンデミックを経て、牧師が引退し、教会員のほとんどが去ってしまっていた。

だが、そこには小さな希望の灯がともっていた。残された数名の日本人クリスチャンたちが教会を支え、そこにアメリカ現地の若者たちが集まり始めていたのである。繰り返しになるが、コロナパンデミック前から世界中の教会は危機的な状況にあった。社会に十分なメッセージを届けられない教会は、どんどん閉鎖されていっている。アメリカの宗教離れは、日本とはまったく異なる次元で進行しており、多くの若者たちは、もはやキリスト教や教会に希望を抱くことはなくなっている。しかし、日本の文化を大切にし、また日本語を使い、かつ国際色を持つこの教会には、アメリカの若者たちが心惹かれ集まっていた。

不思議なことに、その教会も私が所属しているルター派の教会だった。下見に行き、教会の人々と出会い、そしてミネソタの病院のチャプレンたちと面談し、移民弁護士にもたった10日間で会うことができた。3年前に求めていたことが、バラバラになっていたパズルのピースのように集まり、一つの未来への絵が描かれるような気がした。

10日間の弾丸アメリカ訪問から、私は日本の教会に帰国した。この約2年間、私を支え、そして教会から全国のクリニックや学校などにチャプレンとして送り出してくれた教会員たちに、率直に思いを伝えた。すると、教会の人々は少し寂しそうに、それでも言ってくれた。「関野牧師は、いつまでもここにいる人ではない。本当はもう少しここにいてほしいけれども、思い切ってやってきてください。応援しています」と。

実は、喜んで教会の外の働きに牧師を送り出してくれる教会は多くはない。それだけでも感謝しなければならないのに、教会の状況を超えて喜んでアメリカに送り出してくれる教会員の人々に、感謝の気持ちしかなかった。

20代、30代のころ、私は既存の堅苦しい教会組織に対して反発していた。しかし、今思えば、私は教会に迎え入れられ、教会に育てられ、教会とぶつかりながらも受け入れてもらい、そして教会から病院や人々の元へと送り出されていたのだった。

さっそくビザの申請に行き、聖職者としてのビザが付与された。ところが、そこには「ルター派聖職者」という印が押されていた。なんとも言葉にできない喜びがじんわり込み上げてきた。これは消すことができない、神と私との約束なのだと感じた。私はこれまで通り、教会でイエス・キリストの救いのメッセージを聞き、初めて来る人々を教会に招き、そして教会の建物に縛られず、病の人、苦しむ人の最前線に進んでいくチャプレンであり、また牧師であり続けるのだと、その使命を再確認することができた。

40歳になり、挫折を味わい、アメリカから日本に帰国した時、私は必要以上に現実的になり、もう二度と海外に挑戦することはないと自分に言い聞かせていた。将来に希望や夢を持つことで、自分が自分を苦しめるだけだと考えていた。

尊敬する先輩牧師にその話をしたところ、「時を待っていたらいいよ」と言われた。その牧師は、モーセの話を引き合いに出し、「モーセはエジプトから逃走し40年間、義父の元で羊の世話をしていた。そして、40年後に神に偉大な使命を託された。必ず時が来るから、大丈夫だよ」と語った。全然大丈夫ではない。40年後、私は80歳なのだから。

だが、その時が3年後に訪れたのだった。再び教会の牧師を辞め、アメリカで再び牧師になる決意を固めた。まだ、アメリカでの勤務先や病院でのチャプレン職が決まっていない。しかし、動き出さなければ何も始まらない。幾人かの人々は無謀だと私に言ったが、それはその人たちの考えであり、経験則に基づく言葉に過ぎない。神の言葉ではない。

何も決まっていないが、すべては神が決めてくれているのだ。だから安心して、不安なままでも神の声がする方へと飛び込んでいく。何も見えない中で、不安を抱えながらも希望の方へ向かっていき、それを人々に届けるのが牧師であり、それを病棟へ届けていくのがチャプレンである。国を越え、文化を越え、宗教を超えて、私はもう一度アメリカへ、神の声がする方へと進んでいくのであった。

*個人情報保護のためエピソードはすべて再構成されています。

UnsplashHush Naidoo Jade Photographyが撮影した写真

お坊さんに日本を任せアメリカに 【関野和寛のチャプレン奮闘記】第17回

関野和寛 アメリカミネソタ州 ジャパニーズフェローシップ教会牧師/病院チャプレン 毎週メッセージ配信中https://youtube.com/@JapaneseFellowshipChurchMinnes?si=sugazGgni9Ip9iKt

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