わたしたちの子どもたちの中に「情熱にあふれ貴重で希少なスピリチュアリティー」というものをしばしば見かけるようになってきている。わたしたちの親世代はそれを通して「自分たちのスピリチュアリティーに問題がある」という理解に衝撃を受けている。わたしたちは「スピリチュアルな生活」を「忙しい生活」と取り換えてしまった。「神の呼びかけに応える生活」をやめて「世間に顔向けができる生活」を行っている。 ―― そこに、わたしたちのスピリチュアリティーの問題がある。驚くべきことに、わたしたちはしばしば「偽物のスピリチュアリティー」の依存症になることがある。そして、わたしたちの内的生命が破壊された姿、自由が失われた姿、ぶざまで調子はずれの姿を自分の中年期に見出す悲劇が起こる。「わたしたちの家庭の中で思春期を迎えた人々の内に、見るべきスピリチュアリティーがある」とすれば、それは間違いなく、その若者の存在が「バプテスマのヨハネの役割」となって、わたしたちに気づきを与えるよう迫って来る。まさに「いと高きところの預言者」(ルカ1章76節)が、わたしたちに迫り、イエスの栄光と臨在を気づかせてくれる。今こそ、わたしたちは魂の深いところで響きわたる招きの声を聞くべきなのだ。それは、わたしたちに「再挑戦」の機会を与える。その声に応える時、わたしたちは再び、あのウェストミンスター小教理問答に言い表されていた二つのこと、つまり「神に栄光を帰すこと」「永遠に神を喜ぶこと」を実現できるのだ。
「わたしの子よ、あなたは『いと高き者の預言者』と呼ばれる。
あなたは主の道を整えるために、主の前を進む。」
―― ルカによる福音書1章76節
*引用される「聖書の言葉」はピーターソンさんの翻訳・翻案を訳したものです。