神様を恐れすぎてはいけません【聖書からよもやま話475】

主の御名をあがめます。

皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、民数記の17章です。よろしくどうぞ。

民数記 17章12節

しかし、イスラエルの子らはモーセに言った。
「ああ、われわれは死んでしまう。われわれは滅びる。全員が滅びるのだ。」
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

イスラエルの民の一部が、リーダーであるモーセとアロンに反旗を翻しました。そこで神様はその首謀者を罰し、さらにアロンの杖に花を咲かせて彼が神に選ばれたリーダーであることを示して、この反乱を終息させました。

しかし、残った人々は言いました。「我々は死んでしまう。みんな滅びてしまう」と。彼らは神様のことが怖くなったのでした。彼らは神様がイスラエルを愛し、その民に大きな恵みを与えることよりも、「逆らったら罰せられる」ということばかりに心を奪われてしまったのでした。

現代のクリスチャンにもこれは時々起こってしまうことです。特にまじめなクリスチャンほど。神様に従おうとするあまり、神様に与えられたルールばかりに目が行ってしまい、神様が日々くださっている恵みが見えなくなってしまう、そんなことが今も昔も起こってしまうんです。

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Unsplashkrakenimagesが撮影した写真

確かに「主を恐れることは知識の初め」と箴言には書いてありますから、神様を恐れることも大切なことです。でも恐れるばかりではいけません。神様は恐れるべき存在である以上に、愛の存在であるからです。

親は時として子を叱りますが、子の方がその叱られたことばかりを心にとめて、普段から注がれている愛を感じられないとしたらどうでしょう。そうなってしまったら子も親も不幸です。確かに子にとって親は「叱る存在」でもあるでしょうが、それ以上に「愛の存在」であるはずです。もちろん、残念ながら世にはいわゆる「毒親」や、子を虐待してしまうような親もいるのですけれど、神様は決して「毒親」でもなければ、人間を虐待するような方ではありません。日々の必要を満たした上で、愛してくださる方です。

神様と人間、親と子の関係ばかりではありません、上司と部下、先生と生徒、牧師と信徒、師匠と弟子、客と店・・・。様々なシーンで、相手を怖がりすぎて関係が崩壊してしまうことが世の中には多々あります。誰にでももちろん怖い一面はあります。しかしその一面ばかりを恐れて、他の面が見えなくなってしまうのはあまりにもったいないことです。叱られたり怒られたりしたときは、その相手が怖いばかりの人に見えてしまうこともありますが、決してそんなことはないんです。

神様も人も、恐れることは一種のリスペクトとも言えますから大切なことです。でも恐れすぎるのも困りものなんです。

 

それではまた。

主にありて。
MAROでした。

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横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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