神は世界中の武装解除に従事しておられる。男女が彼らの意志を隣人や敵に無理やり課すような全ての試みはゴミの山に投げ捨てられる。暴力は役に立たない。かつて一度も役に立つことがなかった。今後も決して上手くいかないだろう。兵器は実用的ではない。
暴力の歴史は失敗の歴史でもある。戦争で勝利することは一度もない。勝利した闘いは一度もない。暴力の行使は名誉や真理や正義であったとしても、真実の利益のために行使される真実そのものを破壊する。罪人であるわたしたちが為すことや罪人として住んでいるこの世では、わたしたちは時折暴力を避けることが出来ない。だがしかし、暴力が避けられない時でも、それは正しくない。神はそのようなことに関わらない。
地道に、持続的に神の様々な御業を見て行くと、わたしたちが必死になって愚かな軍備増強(個人的であろうと国家的であろうとも、精神的や物質的であろうとも)をしていることが組織的で断固とした軍縮の対象となっていないことが分かる。暴力行為は創造的な行為のアンチテーゼである。わたしたちがもはや創造的になる忍耐力や意志を失う時には、わたしたちは強制的に意志を示そうとする。この世の暴力のほとんどが、怠惰と未成熟がその原因である。しかしながら、祈る人は、広く流布している暴力はこの世では上手くいかないことを知っている。祈る人は神の御業が効き目があることを知っている。そのためには神の御業を見出し、その幻を維持するエネルギーと成熟さが求められる。
注視せよ! 全てのものよ!
神の驚くべき御業を見よ!
神は地球上のいたるところの木々や
花々を植えられた。
神は世界中のいたるところから戦争を禁じる。
神は戦争の全ての武器を破壊する。
― 詩編46編8~9節