1月28日「わたしたちの真のホーム」

わたしたちは自分で人生を始めるのではない。自分で人生を終えるのでもない。わたしたちが特に複雑な創造や救(すくい)との相互作用を信仰を通して体験する時、人生は自分自身の遺伝的な木材や文化的な倉庫で作り出されるものではない。人生は人間の思想、夢、感情や幻想の厚板や釘と共に打ちたたき作られるものではない。わたしたちは自己完結してはいない。わたしたちは神によって創造され、既に豊かな歴史を持ち、献身的に参与している人々が大勢いる世界に足を踏み入れる。 ―― すなわち、動物たちや山々や政治や宗教の世界である。その世界で人々は家を建て、子どもを育てる。そこでは火山が噴火して溶岩を噴出する。そこでは川が海に流れ込む。だがしかし、その世界を注意深く観察し、観て、学ぶと、驚くべき事柄が継続して起きる。(ちょうど岩石が水のため池に変化するように。)わたしたちが驚き続けるのは、頭で考える以上のものや、自分たちの管理を遥かに超えるものに、わたしたちが存在しているからである。

祈りを通して、わたしたちは、それがどんなに遠くにあるように見えても、あるいはどんなに無関心であっても、存在するもの全てが複雑に関わり合っている自分の役割を自覚し、実践している。この祈りとは、わたしたちの本業が終わった後に、楽しむ感情的で美的な副業ではない。祈りとは、わたしたちが遠く離れ離れになっている存在を結び合わせるものでもある。創造の世界は、贖罪の世界に浸透している。贖罪の世界は、創造の世界に浸透している。贅(ぜい)を尽くした天空や豪奢(ごうしゃ)な大地は、神のようなエゴの周辺の上にある小さな美しさを提供する背景ではない。天空と大地とは、わたしたちが真のホームを見出す大きな美の極致(きょくち)である。そこで、わたしたちは十字架とキリストを心を広く生きるための部屋であり、賛美をもって心を開く場所でもある。

地よ、身もだえよ!
あなたは主なる方の御前にある!
ヤコブの神の御前にいます。
主は、岩を冷たい水のみなぎるところとし
火打石を新鮮な泉となす。
― 詩編114編7~8節

63db463dfd12d154ca717564出典:ユージン・H.ピーターソン『聖書に生きる366日 一日一章』(ヨベル)
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