主の御名をあがめます。
皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。
聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は旧約聖書、詩篇の91篇です。よろしくどうぞ。
詩篇 91篇14節
彼がわたしを愛しているから
わたしは彼を助け出す。
彼がわたしの名を知っているから
わたしは彼を高く上げる。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)
ここに記されている「彼」とは神様を信じる人のこと、「わたし」とは神様のことです。つまりこれは神様から人間、特に神様を信じる人間への強烈な愛の宣言です。なんだかもう「兄貴!」と呼びたくなるような力強さと頼り甲斐があります。ちょっと砕けた言い方をするならば「俺を慕ってくれる奴を見殺しになんてできるか!俺は命をかけて助けるぞ!」ということです。はい、もう完全に「頼れる兄貴」です。
こんなことを言ってくれるような「兄貴」に僕たちは一生のうちに会うことがあるでしょうか。実の親ならそんな気持ちで僕たちに接してくれるかもしれません。しかし何の血縁もないのに、ただ「慕う」というだけで「俺は俺を慕う奴を絶対に見捨てない!」なんて言ってくれる人がいるでしょうか。口先だけなら言う人もいるかもしれません。しかし本当に自分の命をかけて、自分を慕う人を助ける人と、一生のうちに一人でも会えたなら、それだけでその人生はかなりラッキーだと言えるのではないでしょうか。
しかしクリスチャンは、一人残らずそんな「兄貴」に会っているんです。神様はイエス様として受肉して世に降りてきて、本当に僕たちのために命をかけて、命を投げ出して、僕たちを助けてくれましたし、今でも助け続けてくれています。しかも僕たちが何かイエス様に良いことをしたわけでも何でもないのに、ただ「イエス様を慕っている」というだけで、「俺を慕う奴を、俺は一人も見捨てない!命をかけて助けるぞ!」と宣言し、実行してくれるんです。とんでもない「兄貴」です。そればかりか、病気になったり怪我をしたりしたら真っ先にお見舞いに飛んできてくれます。悲しいときや落ち込んだときにも真っ先に飛んできて慰めたり励ましたりしてくれます。よくないことをやからしてしまったときには「それはダメだぞ!」と叱りにも来てくれます。こんなに優しくて頼れる「兄貴」は古今東西どこを探しても他にいません。まさに理想の「兄貴」です。
そんな兄貴が僕に向かって「お前、俺についてこい」と言うんです。「何も心配すんな。俺がみんな面倒見てやる」と言うんです。ついていかない理由なんてありません。そしてこれからもついていこうと思うんです。出来の悪い子分ではありますけれど。
それではまた。
主にありて。
MAROでした。
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