Q.本人の同意がなくても、遺族が望めばキリスト教式で葬儀を上げることはできますか?(60代・男性)
結論としては、葬儀の主催者である喪主が希望し、ご本人の明示の反対がなければ問題ないと思います。
これは、法律的に言うと、葬儀を主催する遺族の信教の自由の問題であると同時に、故人本人の人格権の問題であると言えましょう。葬儀は誰のためにやるのかということに帰着しますが、わたしは、それは故人を送る人々のためであり、故人の死の意味を問い、遺族が慰めを得るもので、残されたものの信教の自由に属することです。
この点で、かつて自衛官を家族の意思とかかわりなく護国神社に合祀したことが問題になりました。国の関与に関しては政教分離違反の問題になりましが、仮に国が関与していなかったとしても、家族の明示の意思に反して故人を祭り上げるようなことは本来慎むべきものだと思います。ご本人にしてみても、国家であれ何であれ、自分が死んだ後、勝手に誰かが神と祭ってご本尊にでもされたらと考えると、ぞっとします。
ところで、その本人の意思はどうかというのが今回の問題です。本人が特に積極的に別の宗教による葬儀を希望し、あるいはキリスト教式の葬儀を望んでいなかったことが明確なときは、いくら家族が望んでもわたしは控えるべきだと思います。
それは、本人がキリスト教での葬儀を望んでいても、遺族が仏教で葬儀を強行するという逆の場合のことを想像すると分かると思います。死んだ後、自分の望まない宗教によって葬儀が行われることはないということを保障するのは今生きている人の人権の問題といえます。
さて、イエスは、死んだ者を葬るのは死んだ者に任せよと言ったそうです。大切なことはイエスに従って生きる生き方であります。ご本人にはいかんともできない葬儀のやり方で、神の国が開かれたり閉じられたりすることはない。葬儀とはその程度のことだということではないでしょうか。
*本稿は既刊シリーズには未収録のQ&Aです。
おおしま・ゆきこ 弁護士。1952年東京生まれ。72年受洗。中央大学法学部卒業。84年に千葉県弁護士会へ登録。渥美雅子法律事務所勤務を経て、89年に大島有紀子法律事務所主宰となり現在に至る。日本基督教団本所緑星教会員。